京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Apr 18, 2007

だぼはぜのような

 1633 年10月18日徳川幕府のキリシタン弾圧の嵐の中、天正遣欧少年使節としてヨーロッパに渡った中浦ジュリアン司祭は、他7人の神父・修道士と共 に穴吊り (逆さ吊りです)の刑に処せられます。このとき全身の血が頭にのぼり、その血が溢れて、こめかみからしたたり、直ちに死ねずに長く苦しむ、そのあまり の苦痛に人事不省の状態でひとりの神父が棄教したそうですが、あとの人々はすべて殉教しました。まさに遠藤周作の「沈黙」の世界です。中浦司祭が息をひ きとったのは四日目の21日のことでしたが、「わたしはこの目でローマを見た中浦ジュリアン神父である」と語ったと伝えられています。
 当時日本人は、外国といえば支那やシャムくらいしか知らなかった時代のこと。西欧を見た中浦の自負が大きなものだったことを物語っています。

 外国の諸事情に接するにつけ、往年・近年の日本の外交姿勢をみるにつけ、いつも心をよぎる高村光太郎の詩があります。

  頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫った根付の様な顔をして
  魂をぬかれた様にぽかんとして
  自分を知らない、こせこせした
  命のやすい
  見栄坊な
  小さく固まって、納まり返った
  猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、  鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人             (根付の国 )

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1 Comments:

Anonymous Anonymous said...

great photo!

9:45 PM  

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