京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Aug 21, 2009

インドの食堂

 元東京大学教授で、南アジア史研究者の辛島昇氏がインドのマドラス大学に留学していた頃、大学の食堂は、座席が真ん中で区切られていて、片方は菜食の ヴェジテリアン(辛島昇氏の用語に従います)席、もう片方は肉食をするノン・ヴェジテリアン席になっていたそうです。また大学外では、その当時、ヴェジテ リアンとノン・ヴェジテリアンの食堂ははっきりと分かれていたそうです。そして、そのノン・ヴェジテリアンの食堂は、ブラーミン(バラモン)・レストラン と呼ばれているそうです。何も席を分けたり、食堂によって両者を区別しないでも、注文に応じて、それぞれ料理を出せばいいのに、とは、インドを知らない人 の意見になります。それに何故町の食堂にインドの厳しいカストの階級の名前が冠せられるのか、謎は深まるばかりです。

 ヴェジテリアンというのは、単に健康上の理由での菜食ではありません。日本人の、形だけを模倣した菜食主義とは全く意味が違うことを、知らなく ては、インドを理解できません。ヒンドゥーというのは、キリスト教や他の宗教と違って、ある教典に基づく信仰ではなく、彼らの生活全般を支配する根本思想 です。ヒンドゥー教では、<血、屍体、殺生>などに対する「穢れ」の意識が強くて、動物を殺生することや、それを料理した人、それを食べる人までを穢れた ものと考える人々がいます。食堂で、ヴェジテリアンの席を分けるのは、ノン・ヴェジテリアンが穢れた存在だという一方の考え方からきています。隣に座るこ と自体を忌避しているのです。メニューの違いという便宜的な分け方とか思ったりするのは、浅はかの至りです。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej2/78456/m0u/VEG/

 そして、食堂までが区別されて、ブラーミン(バラモン)・レストランという名が存在するのは、ある階級の人にとっては、食事を調理した人が、穢 れた存在でないことが必要です。穢れた人の作った料理を食すると、自分もまた穢れてしまうと考えるからです。穢れていないのは、厳密なヴェジテリアンを自 称するブラーミン(バラモン)階級の、しかも男性でなくてはなりません。女性は月経による血の穢れをもっている、と考えられているからです。

 この「血の穢れ」という思想は海を渡って、日本の「部落差別」につながっています。動物を屠殺したり、皮を剥いだり、犯罪者の処刑に手を汚した り、また、月経や分娩による血の穢れを避けられない女性など、インドでUntouchable(不可触賤民)と称されるカストに通ずる差別を、今でも残し ているのが日本の社会です。この穢れの思想は、多分仏教の「不殺生」の思想とともに日本に渡来したものと思われますが、インドと日本の間の中国では、仏教 はメジャーにならなかったため、差別社会にはならなかったようです。

 私はヴェジタリアンなの、と気軽に発言するのは、友だち仲間の間だけにしておきたいものです。場所が変われば、「肉を食うお前らは汚い人間 じゃ、」と言わんばかりに受け取られます。また仏教の「不殺生」もありがたい教えのようですが、これによって、牛馬を屠殺して生計をたてる人々を穢れたも のとして、長い間差別の地獄に落としてきたのだと思うと、宗教は罪深いと結論せざるをえません。部落の人たちは一般ののお寺に参拝を許されず、彼らの寺は 穢多(えた)寺と呼ばれていましたが、その「穢多寺」ですらが、部落の人たちを人間扱いしてこなかったのです。

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