京の旅
京都が好きで京都の大学へ行きました。卒業後も赴任先は京都市内でとわがままを通しました。京都の好きな人は多いと思いますが、自分は一体京都のどこが気に入っているのかと、ふと考えたりします。そこで、市内のお気に入りのスポットをいくつかご紹介してみうようと思います。
まず嵐山方面です。太秦の広隆寺です。国宝第一号の弥勒菩薩で有名ですが、境内の駐車場にある「いさら井」という枯れ井戸です。立ち止まって見る人もない、古井戸ですが、「いさら井」は「イスラエル」の訛りだというのです。そもそも太秦や嵐山は平城京以前は、渡来人である秦氏の土地で、秦氏は秦の始皇帝の子孫だとも言われています。秦(はた)はすなわち秦(しん)だというのです。秦氏は太秦や伏見稲荷周辺はじめ、平安遷都以前の京都に広く分布していたようです。始皇帝は大陸に万里の長城や、大運河を構築したことで知られますが、秦氏もまた、土木・治水に優れた技術を発揮したようです。太秦に大酒神社という社があって、秦の始皇帝が祀られています。大酒神社は古くは大辟神社と書いて、またもっと古くは大闢(だいびゃく)神社と言いました。この大闢とはユダヤのダビデ王のことだとも言われています。秦の始皇帝がユダヤ人であったという説もあるくらいです。
次に京の夏を彩る祇園祭です。これは全くもって非日常の世界です。最近はとくに疫病退散の祭りというより、観光に重点を置いた催しに変容してしまっているせいのあって、中京一体を歩行者専用しにて、無数の怪しげな露天と煌びやかに飾り立てた山や鉾を並べた宵山の50万人の賑わいは、全く日常とは切り離された、異常な経験です。その異常さこそが、祭りというものの本態であり、そこに身を置くことで、その狂気のなかに溶け込む一種の自己崩壊を経験できることこそ、その夜の素晴らしさがあります。そこには日常との繋がりは何もないということが、歴史を生き抜いてきた京の町の力と表裏となっています。
五條楽園は今に生きる京都の遊郭です。京の五花街といわれますが、そこに含まれない六つ目の花街で、ちゃんと歌舞練場などもあって、舞妓・芸妓さんたちは琴や三味線のお稽古をしているそうで、花街の体裁をもっています。しかしその実はお茶屋は売春宿で、入ればやり手ババアが着物姿の姫を呼んでくれて、30分1万円?のちょいの間のお楽しみです。大阪の有名な飛田新地に似ています。ただ、さすがは京都で、これがただの遊郭ではない。五条楽園はいまをときめく任天堂発祥の地です。それに、今では流行らない花札の唯一の手作りの職人(松井天狗堂)が最近まで仕事をしていました。看板にはウンスンカルタとも書かれています。この街を歩くと、零落した街の、なんともやるせない退廃感に鬱々としてきます。でも、これが見せかけの観光ではない、本当の京都の一面であるわけです。通り一遍のツアーでは、逆立ちしても経験できない、ディープな真の京都なのです。
下鴨神社の糺(ただす)の森は、お気に入りの散歩道です。自宅からほど近くて、自動車の行き交う下鴨本通から数分間入ったところに、太古からの原生林があって、自由に散策できるところに、京の奥深さがあります。森は昼尚暗く、人影もまばらで、日常では経験しがたい、孤独の世界に浸れます。森林内でニホンリスやコノハズクを見かけた記録があります。森の匂いと樹齢数百年の大木たちと過ごす時間は、得難い。怖いくらいに一人になれること自体、私たちには本当に非日常のことです。森を流れる御手洗川と泉川という清流のせせらぎを木の間隠れに聞きながらの散策のために、思い立ったら出かけています。
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