この3曲
好きだった童謡は「月のの砂漠」でした。子供ごころに、何とも言えずエキゾチックで、現実離れした情景が目の前に広がる、絵画のような世界だった。それに、これが日本人の作った詞だとは、今も信じられません。
ひろい砂漠を ひとすじに
二人はどこへ いくのでしょう
おぼろにけぶる 月の夜を
対のらくだで とぼとぼと
砂丘を越えて 行きました
だまって越えて 行きました
王子様とお姫様が、ラクダに揺られて、黙って旅をするさまは、とても自分の日常とは重ならない情景でした。童謡にありがちの、教訓めいた歌詞や、見え透いた子供だましの感傷もありませんでした。
(http://8.health-life.net/~susa26/syoka/douyou/sabaku.html)
大人になった今でも、初めて接したときの感動は変わりません。
童謡ではありませんが、ウィリアム・ヘイス作曲の「冬の星座」も大好きな曲でした。原曲は愛する女性に捧げた、熱烈な愛の歌だったそうです。
ほのぼの明かりて 流るる銀河
オリオン舞い立ち スバルはさざめく
無窮をゆびさす 北斗の針と
きらめき揺れつつ 星座はめぐる
星空のロマンというのか、悠久の宇宙へと誘う、その不思議な雰囲気に、子供なりに酔って、上手くもないのに、何度も歌ってみた曲でした。
(http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/01/post_c264.html)
忘れ得ぬもう一曲は、土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲の「荒城の月」です。
いま荒城の夜半の月
替らぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛
松に歌うはただ嵐
第一印象は、寒くて、寂しい曲でした。どうしようもない郷愁に取り憑かれて、呆然とする、そんな歌でした。でも、歌は難しかった。まだ小学校に上がらない年で、父の転勤のため、大阪府の岸和田市に引っ越して行きました。新居は岸和田城内、二の丸公園内の一軒家で、冬の夕刻、日も落ちた人影もない園内を両親と歩いてたどり着きました。そのとき、時報代わりのオルゴールがほど近い市役所から高々と鳴り渡りました。その曲が、当時は知らなかった、「荒城の月」でした。木枯らしの吹き抜ける松林の中を、とぼとぼと歩きながら、この胸を締め付けるような名曲と出会ったのです。
この歌にはもう一つ、興味深いエピソードがあります。原曲の歌詞は4番までなのですが、もう随分前に、京都大学の現代国語の入試問題に、この曲の5番を作詞せよ、という問題がでたそうです。国語の勉強とは漢字を覚えること、のように思っていた受験生の度肝を抜いたに相違ありません。同時に京都大学らしい、と感じさせられる逸話です。
(http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/koujouno.html)
上記3曲とも、歌詞に月が出てきて、曲のテーマの重要な要素になっています。月は、居ながらにして半現実の心境を体験させる、不思議な力を持っていると、しみじみ思います。
ひろい砂漠を ひとすじに
二人はどこへ いくのでしょう
おぼろにけぶる 月の夜を
対のらくだで とぼとぼと
砂丘を越えて 行きました
だまって越えて 行きました
王子様とお姫様が、ラクダに揺られて、黙って旅をするさまは、とても自分の日常とは重ならない情景でした。童謡にありがちの、教訓めいた歌詞や、見え透いた子供だましの感傷もありませんでした。
(http://8.health-life.net/~susa26/syoka/douyou/sabaku.html)
大人になった今でも、初めて接したときの感動は変わりません。
童謡ではありませんが、ウィリアム・ヘイス作曲の「冬の星座」も大好きな曲でした。原曲は愛する女性に捧げた、熱烈な愛の歌だったそうです。
ほのぼの明かりて 流るる銀河
オリオン舞い立ち スバルはさざめく
無窮をゆびさす 北斗の針と
きらめき揺れつつ 星座はめぐる
星空のロマンというのか、悠久の宇宙へと誘う、その不思議な雰囲気に、子供なりに酔って、上手くもないのに、何度も歌ってみた曲でした。
(http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/01/post_c264.html)
忘れ得ぬもう一曲は、土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲の「荒城の月」です。
いま荒城の夜半の月
替らぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛
松に歌うはただ嵐
第一印象は、寒くて、寂しい曲でした。どうしようもない郷愁に取り憑かれて、呆然とする、そんな歌でした。でも、歌は難しかった。まだ小学校に上がらない年で、父の転勤のため、大阪府の岸和田市に引っ越して行きました。新居は岸和田城内、二の丸公園内の一軒家で、冬の夕刻、日も落ちた人影もない園内を両親と歩いてたどり着きました。そのとき、時報代わりのオルゴールがほど近い市役所から高々と鳴り渡りました。その曲が、当時は知らなかった、「荒城の月」でした。木枯らしの吹き抜ける松林の中を、とぼとぼと歩きながら、この胸を締め付けるような名曲と出会ったのです。
この歌にはもう一つ、興味深いエピソードがあります。原曲の歌詞は4番までなのですが、もう随分前に、京都大学の現代国語の入試問題に、この曲の5番を作詞せよ、という問題がでたそうです。国語の勉強とは漢字を覚えること、のように思っていた受験生の度肝を抜いたに相違ありません。同時に京都大学らしい、と感じさせられる逸話です。
(http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/koujouno.html)
上記3曲とも、歌詞に月が出てきて、曲のテーマの重要な要素になっています。月は、居ながらにして半現実の心境を体験させる、不思議な力を持っていると、しみじみ思います。
Labels: 月の砂漠 冬の星座 荒城の月 童謡 唱歌 岸和田城
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