ざんげの値打ちもない
北原ミレイという歌手がいます。故阿久悠さんの作詞した「ざんげの値打もない」という地味な名曲があります。その歌詞のなかで、4番だけが、録音の際に 削除されて、北原ミレイ本人の記憶の中だけに残っていました。最近某テレビ局の番組で、それを歌っていたので、その歌詞を書き付けました。
とうに二十歳も過ぎた頃
鉄の格子の空を見て
月の姿が寂しくて
愛というのじゃないけれど
私は誰かが欲しかった
当時の世情では、収録不可能と判断されたのも無理からぬ内容です。今なら多分OKかなと思いますが、内容は鮮烈で、こんなに深い歌だったんだと、聞き惚れました。
「ざんげの値打もない」、人のことだと思って、可哀想になんて思って終わるのですが、「ざんげの値打ちもない」のは、実は自分のことだと、思い至る人は、まだ救える余地があるのでしょう。
とうに二十歳も過ぎた頃
鉄の格子の空を見て
月の姿が寂しくて
愛というのじゃないけれど
私は誰かが欲しかった
当時の世情では、収録不可能と判断されたのも無理からぬ内容です。今なら多分OKかなと思いますが、内容は鮮烈で、こんなに深い歌だったんだと、聞き惚れました。
「ざんげの値打もない」、人のことだと思って、可哀想になんて思って終わるのですが、「ざんげの値打ちもない」のは、実は自分のことだと、思い至る人は、まだ救える余地があるのでしょう。
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