京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Jan 16, 2010

日本人には愛も恋もない?

 1月15日は小正月、赤豆粥(せきとうしゅく)、つまり小豆粥をいただく日になっています。この日、お正月を祝った門松や司命索(しめなわ)を燎く、散 鬼杖(さぎちょう)とか、焞土(どんど)とか呼ばれる祭事(?)が行われます。それぞれ「左義長」とか「どんど焼き」という名で、まだ生き残っている地方 も多いと思います。

 話は変わって、阿久悠さんが存命中、同業界の人から、「日本にはどうして「愛の讃歌」のような歌ができないのだろうか」ときかれた時、「日本には、本来愛というものがないから」と答えたそうです。

 彼は、「日本には、恋も愛もないのではないかと考えている。あるのは、男と女の縁であったり、絆であったりで、恋というものとは、また違う気がする」と言っています。(阿久悠「作詞入門」岩波現代文庫)

 そういえば、近年、自殺する人が増えていて、問題になっていますが、恋に身を焼いて・・というケースはあまり耳にしません。日本の若者は、恋を していないのです。恋は盲目といいます。そして、恋をすることによって、人は夢に生き、大きくなってゆくはずなのですが、「女が欲しい」とか、「男が欲し い」のレベルに留まってしまっていて、別れたら、また次がある、と最初から割り切っているのが現実のようです。

 日本の女は、外国人の男性からみて、「独占欲が強くて、嫉妬心が強い」のが鼻もちならないそうですが、確かに、一緒にお茶を飲んだくらいでも、 すぐに「彼女いるの?」とか聞いてきます。そして、「いる」と答えると急にトーンが落ちていくのが目に見えるのが浅ましい。独占しようとしている!のです かね。男を見つけて、自分の寂しさを解消して、その状態を守っていく、あわよくば自分は働かないで、相手に寄りかかって生きよう、という保身に尽きるの が、あんたの本音かよ、と言いたくなる。これでは愛にも、況や恋にもならないでしょう。

 阿久悠さんはまた、日本にはブリジット・バルドーやカトリーヌ・ドヌーブのような生き方をする女性がいないことを嘆いています。若い時は見かけ のよさそうな(実際はそれほどでもないのに)男と適当に遊んで、年頃になって友達が結婚し始めると、とたんに目を血走らせて、公務員を捜しはじめたり、し ていて、何とも恥ずかしいやら、見苦しいやら。愛に生きるはずじゃあなかったのかよ? 恋をするつもりじゃなかったのかよ? よーよー! 女だけの問題 じゃあ、ないけどね。
 
 自分の気持ちを信じて、何も望まない、なんて、「愛」は憧れの中にさえ存在しないのが、日本人なのでしょうか。せっかく男に、か、女に生まれた のなら、一度くらいは、すべてを賭けて悔いない恋に、身をやつしてみたいと、誰も思わないのかなあ。その後、一生独身でもいいじゃないですかねえ。
 「ロメオとジュリエット」ってすごい話だよね。宿命に逆らい、命を賭けても恋に生きるって、21世紀になってもまだ、できないことなんだね。 シェークスピアはすごい。近松もすごい。若いのに、ユニクロで990円のヒートテックを鷲づかみして満足してる場合じゃあないと、思うんだけどね。

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