your philosophy" の訳は「君の哲学」でいいのか?
Hamletの台詞です。
"There are more things in heaven and earth, Horatio. Than are dreamt of in your philosophy"(第1幕、第5場)。
この"your philosophy" は、「君の哲学」でいいのか?(参照:渡部昇一著「英文法を撫でる」(PHP新書)http://blog.goo.ne.jp/kamino-m/m/200607 )
語学の勉強は、本当に奥が深い。特に英語は、いくら学んでも、尚先が長い感を否めない。
最近中国語の勉強を始めました。とっつきは仕事の必要からだったのですが、面白くなって、現在、「西遊記」を原典で読んでいます。中国語でも古 典の部類に入るので、そこそこ難解です。もちろん一人では心許ないので、同志社大学の大学院で学ばれている、中国人の方に教わりながらの悪戦苦闘です。さ すがに、現在はもう使われない漢字があって、中日辞典にも、角川書店の「字源」にも出ていなかったりする。表現や用語も、微妙に現代とは異なるので、先生 も「わかりません」と匙を投げることしばしばです。それでも、面白い。登場するのは、三蔵以外は、孫悟空始め妖怪ばかり。仏教はもとより、道教他、わが国 の思想や風俗・習慣の源流をたどる、歴史・文化の勉強のようです。宗教や占星術など、日本に固有と思っていたことなどが、実は古い中国に起源をもつものだ と、改めて知ることが数多くて、中国文化の奥深さに驚きの連続です。これこそが、語学を学ぶ意味だと、再認識させられる毎日です。語学を学ぶことは、取り も直さず、その国の文化を学んで、その上で、その国の人々との間に、人間的な理解を深めることです。人種は違っても、同じ文化的起源をもつ、同胞であるこ とを理解したり、ああ、ここが違うんだ、ということから、自分の理解の浅薄さを思い知らされることもしばしばです。街の英会話学校で学んで、上っ面のやり とりの会話で満足していると、英語を学んでいるのに、かえって本当の国際性を失っていきます。「ガイジン」(日本人はアメリカ人に対して泣きたいくらい卑 屈です)と話して、いい気になっているだけの語学力に自己満足する文化的低俗人間に堕してしまいます。
http://www.guoxue.com/minqingstory/ss/fly_001.htm
"your philosophy" の部分を、福田恒在は「ホレイショー、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ」と訳しているそうです。小田島雄志訳では「この天 と地のあいだにはな、ホレーシオ、哲学などの思いもよらぬことがあるのだ」となっているそうです。はるかに明治時代の坪内逍遙でも「この天と地の間には な、所謂哲学の思いも及ばぬ大事があるわい」と訳されているそうです。「君の哲学」ではない!
"your philosophy" という一見簡単にみえる英語でも、私たちの先人は、苦労して、英語の真意をくむ翻訳を試みています。”your"=「君の」で満足しているレベルが、残念 ながらわが国の英語学習のレベルであり、日本という国の島国性です。”your" 一語の問題ではありません。世間からはひょっとしたら英語がよくできる、と思われている?お医者さんたちも、恥ずかしいことですが、その学位論文の英語は 惨憺たるもので、外国の雑誌に投稿すると、少なからず "poor English grammar" と評されて返されます(笑えます)。結局翻訳屋に頼んで、お金を払って論文にしています。"poor English grammar" というのは、英語が未熟、というより「野蛮」だということで、外国の人に対して失礼だということです。学会などでも、腫瘍のことを「ツモール」なんて、さ さやかな優越感からか、訳のわからない外国語訳を使って表現していたり、手術を「オペ」(オペって何語?)なんて、全く馬鹿みたいです。非科学的だし、人 間が小せえってえの!英会話学校で勉強して、いくらペラペラしゃべっているようでも、文法ができていなければ、外国人には自国の乞食レベルの英語に聞こえ ることでしょう。本当にこれでいいのか? と反芻するのが、学習ということだと思います。でもこれは、語学の勉強には限りませんよね。
"There are more things in heaven and earth, Horatio. Than are dreamt of in your philosophy"(第1幕、第5場)。
この"your philosophy" は、「君の哲学」でいいのか?(参照:渡部昇一著「英文法を撫でる」(PHP新書)http://
語学の勉強は、本当に奥が深い。特に英語は、いくら学んでも、尚先が長い感を否めない。
最近中国語の勉強を始めました。とっつきは仕事の必要からだったのですが、面白くなって、現在、「西遊記」を原典で読んでいます。中国語でも古 典の部類に入るので、そこそこ難解です。もちろん一人では心許ないので、同志社大学の大学院で学ばれている、中国人の方に教わりながらの悪戦苦闘です。さ すがに、現在はもう使われない漢字があって、中日辞典にも、角川書店の「字源」にも出ていなかったりする。表現や用語も、微妙に現代とは異なるので、先生 も「わかりません」と匙を投げることしばしばです。それでも、面白い。登場するのは、三蔵以外は、孫悟空始め妖怪ばかり。仏教はもとより、道教他、わが国 の思想や風俗・習慣の源流をたどる、歴史・文化の勉強のようです。宗教や占星術など、日本に固有と思っていたことなどが、実は古い中国に起源をもつものだ と、改めて知ることが数多くて、中国文化の奥深さに驚きの連続です。これこそが、語学を学ぶ意味だと、再認識させられる毎日です。語学を学ぶことは、取り も直さず、その国の文化を学んで、その上で、その国の人々との間に、人間的な理解を深めることです。人種は違っても、同じ文化的起源をもつ、同胞であるこ とを理解したり、ああ、ここが違うんだ、ということから、自分の理解の浅薄さを思い知らされることもしばしばです。街の英会話学校で学んで、上っ面のやり とりの会話で満足していると、英語を学んでいるのに、かえって本当の国際性を失っていきます。「ガイジン」(日本人はアメリカ人に対して泣きたいくらい卑 屈です)と話して、いい気になっているだけの語学力に自己満足する文化的低俗人間に堕してしまいます。
http://
"your philosophy" の部分を、福田恒在は「ホレイショー、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ」と訳しているそうです。小田島雄志訳では「この天 と地のあいだにはな、ホレーシオ、哲学などの思いもよらぬことがあるのだ」となっているそうです。はるかに明治時代の坪内逍遙でも「この天と地の間には な、所謂哲学の思いも及ばぬ大事があるわい」と訳されているそうです。「君の哲学」ではない!
"your philosophy" という一見簡単にみえる英語でも、私たちの先人は、苦労して、英語の真意をくむ翻訳を試みています。”your"=「君の」で満足しているレベルが、残念 ながらわが国の英語学習のレベルであり、日本という国の島国性です。”your" 一語の問題ではありません。世間からはひょっとしたら英語がよくできる、と思われている?お医者さんたちも、恥ずかしいことですが、その学位論文の英語は 惨憺たるもので、外国の雑誌に投稿すると、少なからず "poor English grammar" と評されて返されます(笑えます)。結局翻訳屋に頼んで、お金を払って論文にしています。"poor English grammar" というのは、英語が未熟、というより「野蛮」だということで、外国の人に対して失礼だということです。学会などでも、腫瘍のことを「ツモール」なんて、さ さやかな優越感からか、訳のわからない外国語訳を使って表現していたり、手術を「オペ」(オペって何語?)なんて、全く馬鹿みたいです。非科学的だし、人 間が小せえってえの!英会話学校で勉強して、いくらペラペラしゃべっているようでも、文法ができていなければ、外国人には自国の乞食レベルの英語に聞こえ ることでしょう。本当にこれでいいのか? と反芻するのが、学習ということだと思います。でもこれは、語学の勉強には限りませんよね。
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