京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

Name:
Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

May 14, 2010

駅員がいれば・・

 最近気になる鉄道事故が2件ありました。
 一つは、近鉄南大阪線河内天美駅の北側の踏切で、92歳のお婆さんが、渡りきれずに、準急列車に轢かれて死んだ事故。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20100501-624812.html
 これについては、誰か見ていた人はいなかったのか、という疑問を投げかけている人がいます。

 もう一つは、これも大阪ですが、南海高野線千代田駅構内で、女子生徒がはねられて死亡した事故。女子生徒は同学年の女子生徒(15)と2人で下りホームから約1.1メートル下の線路に下り、幅約6.6メートルの線路を走って渡り、上りホームにはい上がろうとして、快速急行にはねられたそうです。駅には当時、駅員2人がいたが、いずれも改札口横の駅務室にいて!、悲鳴と警笛で事故に気づいた。ホームに監視カメラはない!。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201005140014.html
 この事故については、同情の余地のない迷惑行為だとの意見が圧倒的です。

 最近では検札にも、ホームにも、駅員を見かけないのが当たり前になってしまいましたが、以前は、少なくとも駅の踏切には監視員がいて、列車と通行人に目を配っていました。また駅のホームにも、必ず駅員がいて、列車の通行時は、安全に注意していたものでした。
http://blogs.yahoo.co.jp/yuushi2011/48120907.html

 踏切に監視員がいるか、または、常に監視できるモニターを設置していれば、事故は防げた可能性があります。踏切に人や車が立ち往生した場合に、それを知らせるアラームを設置することもできるはずです。
http://blog.goo.ne.jp/yutarinorou/e/5c8c75650d748f2b9f29be3ab26cfbe6
http://www.mintetsu.or.jp/knowledge/term/133.html

 ホームに駅員が一人いて、十分に監視していれば、物を落とした人や、線路に降りようとする人を発見することは可能です。

 死んだ女子生徒のやったことは、ただただ迷惑で、弁解の余地もないのでしょうか? この世には「絶対」ということがあって、狼は決して出てこない、ということでしょうか? いいえ、「狼はきっと現れる」というのが童話の教訓です。どんなに注意していても、事故は根絶できません。私自身、車が来なければ、信号無視します。日本人ほど交通信号を守る国民は少ないと思います。運転手は、信号や交差点では、常に制動の構えが必要です。遮断機が降りているから、駅構内だから、歩行者はいないだろう、と信じ切っていることが、万が一の事故を防げない原因になります。遮断機内の立ち往生事故は、決して希ではありません。誰か、何かが立ち往生しているかも知れない、と予想しているだけでも事故の何分の一かは防げたかも知れないのです。
 死んだ女子高生に悪意はありません。その行為は軽率でしたが、「死」をもって贖う罪とするには、あまりに可哀想です。こんな子供がいても、それでも命だけは救いうる世の中にしたいと、私は思います。鉄道会社は、人を減らして、利益を増やすことしか考えていません。人びとが、その会社の立場からものを考えて、同情の余地なしと考えてしまうことが、私には、限りなく悲しい。

 駅や踏切は、安全第一にはできていません。人員を削減して利益を追求することに、汲々としている鉄道会社の姿が、明らかです。
 女子高生が死んだ事故では、2人の駅員(たった2人で安全を守れるのか?)が、2人とも2階にいて、起こった後で事故に気づいています。駅員は何をしていたのでしょうか? 切符を売るわけでもないし、検札も自動です。ホームで列車の通行を監視していたわけでもない。駅員は、何をするために駅にいるのでしょうか? 線路に降りて、となりのホームに移動する、なんて、言語道断。同情の余地はないものと言ってしまえば、身も蓋もありません。でも、親の監視を離れた幼児が、踏切に落ちることだってあり得ます。歩行の怪しい老人が、何かに当たって、線路に落ちることだって、あり得るじゃあありませんか。「安全」とはそのような場合でも、可及的に、事故を最小限に縮小できるシステムを構築する思想です。

 踏切を監視する係員か設備があれば、それと駅員がホームで安全を確認していれば、死なずにすんだ命があったのかも知れないと思うと、つくづく、人に優しい社会ではなくなっていると実感せざるを得ません。南海電鉄にも、近鉄にも、そこまでして安全を確保する気持ちは、爪の先もないのだと思った事故でした。駅員は、何よりも乗客の安全のために、駅にいるのではなかった、のですね。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100408/crm1004081131010-n1.htm

Labels:

0 Comments:

Post a Comment

Subscribe to Post Comments [Atom]

<< Home