京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Sep 5, 2010

自由になりたかった囚人 ふたたび夢と自由について

 植西 聰さんの「変わりたいあなたへの33のものがたり」(集英社be文庫)に収録されているお話です。実話ではありません。

 一人の囚人がいました。朝起きて、強制労働に従事して、夜になったら寝て、という毎日に飽き飽きしています。「自由になりたい」、「家族に会いたい」と考えています。そして、神様に、何とか自由にしてくれるようお願いします。すると神様が現れて、彼の部屋にいくつかの扉を作ります。そして、どの扉でも、自由に開けて出て行っていい、と囚人に言います。ただし、ドアの外がどんな世界なのかはわからない、と付け加えて言いました。

 囚人は来る日も来る日も考え、悩みました。扉を開けて出て行けば、今の監獄暮らしからは解放されるけれども、その先に何が待っているのかは、全くわからない。ひょっとしたら、今よりももっと不幸で、惨めな生活が待っているかも知れない。今の生活は不自由だけれど、食事は与えられるし、危険なことはない。結局囚人は、どの扉も開ける勇気がなく、結局その監獄で死ぬまで過ごした、というお話です。
http://www.superdramatv.com/line/oz/words4.html

 著者の植西さんは、このお話を聞いて、泣き崩れたある若い女性のエピソードを紹介しておられます。その女性は、暴力をふるう男性と交際していて、暴力をふるわれるけれども、優しいこともあって、何よりも一人になるのが寂しくて、別れられずにいる、という人でした。彼女は、この囚人の話を聞いて、やっとその男と別れる決心がついた、と言ったそうです。彼女はこの話を聞いて、目の前にある扉を開けることを恐れて生活していた自分と、決別する勇気をもてたのです。

 私たちも、考えてみれば、この囚人と同じ生活を送っています。いろいろと「夢」をみたこともあったし、今もみているかも知れません。ところが、実際の生活は、夢の実現のために目の前の扉を敲くことすらせずに、毎日が過ぎていっているのではないでしょうか。自分もやがて、街でみかける、普通のおじさんやおばさんになっていくことは、火を見るよりも明らかです。「それでええ、無事に生きていけたら御の字やで」と飼い慣らされていく不甲斐なさに、静かに目を閉ざしています。人生はたった一度で、目の前にある扉を開ける自由は、誰もが公平にもっているというのに。

 生まれついての金持ちが必ず幸せとは限りません。小学校の悪がきが、将来オリンピック選手やノーベル賞受賞者になることだってあります。6歳で片腕を失った少年が努力して大リーガーになった実話も、先にご紹介しました。耳の聞こえない人たちが「千手観音」という世界的な芸術活動を続けているお話も以前紹介させていただきました。
http://www.amstkk.net/petegray.html
http://shopping.jchere.com/senjukannonintro.htm

 私たちは「夢」をみることを恐れていないでしょうか。自分から、自分に与えられている「自由」を放擲してしまっていないでしょうか。街を歩くと、無数の「これでええわ」に出会うことを、寂しいと思いませんか。
http://questionbox.jp.msn.com/qa3954846.html

 モザンビークでパンの値上げに反対するデモがありました。反対運動は暴動に発展して、13人の死者と200名以上の負傷者を出す結果になったそうです。しかし、パンの値上げは撤回されました。モザンビークではパンの価格は政府が決めています。
 これが「自由」というものです。自分の考えを、誰に対してでも表出できて、そしてその実現のために行動できることこそが「自由」の本質です。私たちはアフリカの小国といえば、低開発国で未開の世界だと、内心蔑視しているかも知れません。しかし、彼らは自分の自由を知っていて、それを行使する勇気を持っています。「自由の国」日本と言いながら、私たち日本人は、実はアメリカの言いなりの政府の、その言いなりです。自分の考えを持っていなかったり、おかしいと思っても、周囲の目を憚って、結局黙っ我慢してしまう卑屈な国民性を持っています。あの野蛮な戦争に徹底的に反対できないで、その上、原爆を投下されながら、そのことに対しても何の抗議もできない国民です。

 イチローの言葉です。
「小さなことを積み重ねることでしか、とんでもないところへは行けない」
「大きさや強さに対するあこがれが大きすぎて、自分自身の可能性をつぶさないでほしい。自分のもっている能力を生かせば、可能性はすごく広がる」
 イチローだって、生まれたときから大リーガーであったわけではありません。誰もが同じ可能性をもった新生児として、この世に誕生します。私たちが携帯電話に縛りつけられている時間を、彼らは自分のために使っただけのことです。私たちは、心から自分の生活を恥ずかしいと思うところからやり直さないと、自分だけでなく、それでなくても希薄な、世界の中での日本の存在感もますます希薄になっていくことでしょう。

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1 Comments:

Anonymous Anonymous said...

for you:
http://flickrcomments.wordpress.com/2011/03/16/checking-the-radio-activity%EF%BC%9A%E8%A2%AB%E7%88%86/

12:54 AM  

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