今戸神社ーこの罰当たりの金の亡者
浅草に今戸神社という神社?があって、招き猫発祥の地とか、今流行のパワースポットとか、NHK などの怪しいマスコミが取り上げたりすることもあって、人気スポットになっています。
http://www.tctv.ne.jp/imado-8/T1.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%88%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
この神社に詣でたある女性の話です。雑誌に紹介された記事を見て、東京へ行ったついでに立ち寄ったそうです。そこで記念にお守りを買い求めたそうなのですが、ここからが信じ難い神社の為体です。
何種類かのお守りから、前から決めていたアイテムを指定して買い求めたつもりが、神社側の間違いで、違った種類のものが包装されていたことに帰宅して気付きます。そこで神社に電話してその旨を告げて、郵送で交換を申し出たところ、電話に応対した男性は、「どういうことでしょうか」と非常に無愛想な態度。挙げ句、「けい子〜!」とか言って、どうやら嫁さん?に助けを求めたそうです。
女性は買い求めたお守りを、一言詫びの言葉を添えて郵送したところ、送り返されたものは、駅などの土産物屋然とした透明の袋にいれただけの包装で、間違えて違うものを渡したことに対する謝罪の文言すらなかったということです。それに、郵送にかかった切手代は無言で当方負担となってしまったということです。
そもそも間違えて別のものを売ったのなら、送料は神社が負担するのは当然だし、形だけでも謝罪の文を同封しないのはおかしいことです。それと、ものがお守りなのですから、ちゃんと神社の御紋の袋に封じて送り返すべきです。さらに言えば、神様の威を送るのですから、確かに本人に届くよう書留便で送らなければならないはずです。
神社はそのお守りを並べて売っているところから、もう「神社」ではなくて、まるで物売りの体だったということでした。京都の神社なら、並べてあるものの中から自分で選んだものを、巫女さんが神社の御紋の袋に包んでくれて、「よくお参り下さいました」と一言添えて下さいます。今戸神社の場合は、口の達者なおばはんが、普通の服装でただものを売っているだけで、あまつさえ、買い手の持ち物について「それサマンサ・タバサのバッグやね」とか、詮索がましい汚らわしさです。買ったお守りが入っている袋も、ただ神社の名前のスタンプを押しただけのもので、どう見ても、「神社」のものとは言い難いものだったということでした。
ついでに言うと、今戸神社には参拝者のためにトイレがありません。その用は、近所の隅田公園のトイレを利用して下さいと冷たい仕打ちです。万が一の御利益を信じて、遠く地方からお参りする人に対して、それはないだろう、と言いたい。
今戸神社は、そもそも参拝者を金蔓としか思っていません。怪しいお守り?を土産物然と並べて、ただ売っているだけです。神社には神に代わって、護符を授与させていただくという謙虚さは、爪の先ほどもないということです。この神社は、「神社」を名乗る資格はないし、パワースポットなどでは到底あり得ないことは自明です。
http://www.tctv.ne.jp/imado-8/T1.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%88%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
この神社に詣でたある女性の話です。雑誌に紹介された記事を見て、東京へ行ったついでに立ち寄ったそうです。そこで記念にお守りを買い求めたそうなのですが、ここからが信じ難い神社の為体です。
何種類かのお守りから、前から決めていたアイテムを指定して買い求めたつもりが、神社側の間違いで、違った種類のものが包装されていたことに帰宅して気付きます。そこで神社に電話してその旨を告げて、郵送で交換を申し出たところ、電話に応対した男性は、「どういうことでしょうか」と非常に無愛想な態度。挙げ句、「けい子〜!」とか言って、どうやら嫁さん?に助けを求めたそうです。
女性は買い求めたお守りを、一言詫びの言葉を添えて郵送したところ、送り返されたものは、駅などの土産物屋然とした透明の袋にいれただけの包装で、間違えて違うものを渡したことに対する謝罪の文言すらなかったということです。それに、郵送にかかった切手代は無言で当方負担となってしまったということです。
そもそも間違えて別のものを売ったのなら、送料は神社が負担するのは当然だし、形だけでも謝罪の文を同封しないのはおかしいことです。それと、ものがお守りなのですから、ちゃんと神社の御紋の袋に封じて送り返すべきです。さらに言えば、神様の威を送るのですから、確かに本人に届くよう書留便で送らなければならないはずです。
神社はそのお守りを並べて売っているところから、もう「神社」ではなくて、まるで物売りの体だったということでした。京都の神社なら、並べてあるものの中から自分で選んだものを、巫女さんが神社の御紋の袋に包んでくれて、「よくお参り下さいました」と一言添えて下さいます。今戸神社の場合は、口の達者なおばはんが、普通の服装でただものを売っているだけで、あまつさえ、買い手の持ち物について「それサマンサ・タバサのバッグやね」とか、詮索がましい汚らわしさです。買ったお守りが入っている袋も、ただ神社の名前のスタンプを押しただけのもので、どう見ても、「神社」のものとは言い難いものだったということでした。
ついでに言うと、今戸神社には参拝者のためにトイレがありません。その用は、近所の隅田公園のトイレを利用して下さいと冷たい仕打ちです。万が一の御利益を信じて、遠く地方からお参りする人に対して、それはないだろう、と言いたい。
今戸神社は、そもそも参拝者を金蔓としか思っていません。怪しいお守り?を土産物然と並べて、ただ売っているだけです。神社には神に代わって、護符を授与させていただくという謙虚さは、爪の先ほどもないということです。この神社は、「神社」を名乗る資格はないし、パワースポットなどでは到底あり得ないことは自明です。
Labels: 今戸神社 浅草 お守り パワー・スポット 招き猫
1 Comments:
「恋愛のパワースポット」「招き猫発祥の地」という触れ込みでいつの間にかここの神社は参拝の人々でごった返しているようですが、何だか行きすぎな感じ。まだ山谷堀が暗渠になっていなかった頃にはここはひっそりとした氏神様というたたずまいでした。今戸神社は昭和のはじめに「今戸八幡」に隣町の「白山神社」を合祀して現在に至ったということで旧白山神社の神様であるイザナギ、イザナミの2柱を縁結びの神様として、また旧今戸八幡が昔の今戸町の氏神様であったことから氏子の中に今戸焼職人も含まれていたというところから、招き猫の発祥の地だとPRしはじめてから不思議な絵馬が生まれた訳で、これらについては古くからの伝承があるわけでもない。「招き猫の発祥」については江戸時代の複数の記録から「今戸焼」で作られてたのが一番古い記録ではあるけれども旧今戸八幡と招き猫とのつながりは今のところ記録には残っていない。具体的に記録されているのは浅草寺の隣の三社様の鳥居横で招き猫が売られたとあるのみなので、三社様こそが一番古い「招き猫発祥の地」となるはず。今戸八幡の氏子に今戸焼屋が含まれたから今戸神社が発祥の地だという理屈はちと強引すぎると思う。大概氏神様である神社であれば、その土地の歴史や伝統を伝える語り部のような役割を担っていると思うけれど、ここの神社は率先して歴史を神社の経営に都合のよい方向に書き換えているように見える。悪く言えば捏造。マスコミも流行に乗って更に宣伝するので、昔本来の姿は更に上塗りされてしまう。だいたい本殿に祀ってある大きな2体の招き猫の姿形は伝統の今戸焼の招き猫とは全く関係ないものなのに、、。みんなで楽しく過ごせればOKという人達に文句をつけることもないけれど、歴史的な検証を考える心ある人もいて欲しいと思うのですが、、、。
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