京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Mar 1, 2010

泣くインド人と、陽気な中国人

最近の妊婦さんの外来は結構国際的です。中国や韓国の方は結構多いですが、それ以外に、フィリピン人、スーダンやイラク人、インド人や東欧のアゼルバイジャン方も来られます。変わったところでは南アフリカのザンビアの方もいらっしゃいました。宗教的にも多彩で、イスラム教、ヒンズー教など普段あまり接することのない信仰をもつ方がいて、ちょっと気を遣います。

 ザンビアという国はあまり馴染みがないと思いますが、多民族国家ですが、民族間の紛争がなく、大変平和な国として有名です。アメリカよりもよっぽど自由な国ですよ。この国は、1964年東京オリンピックの閉会式の日に独立したため、独立前の北ローデシアとして参加していたのに、帰りはザンビアという面白い経歴をもっています。宗教的には多民族国家らしく、半数がキリスト教徒ですが、他に、イスラム教とヒンズー教の信者も多数いるようです。患者さんは夫と妻が異なる民族だったため、挨拶も夫はペンパ語で「ムリシャーニ」、妻はニャンジャ語で「ムリバンジ」でした。もっともザンビアの公用語は英語なので、どちらも英語は堪能。アフリカの人々は、未開民族ばかりと思ってはいけません。この文章を読んでいる人たちよりも、よっぽど英語は上手いのです。中学・高校と英語を習っていながら、実用にならない国とは、わけが違います。ザンビアと言えば、もうひとつ、ガリバー旅行記の巨人の国のモデルになったことで有名です。確かに、ご夫婦ともども、立派な体格でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2#.E6.B0.91.E6.97.8F

 中国の人は你好 (ニーハオ)、イスラム圏の人たちは、صباح الخير (アッサラーム・アライクム)、インドの人だとसुप्रभात (ナマステ)が挨拶の表現で、いずれも、朝、昼、夕いずれに使ってもいいようです。フィリピンやインドネシアの言葉でもそうだったように記憶しています。日本という国が、いかに非国際的であるかがわかります。あいさつだけでも、おはよう、こんにちは、こんばんわ、と、3つも覚えなくてはならないのですから、外国人にはきつい。「アッサラーム・アライクム」「ナマステ」は、「さようなら」に使ってもいいですから、外国人に優しいですよね。

 中国人は一般に英語を話しません。が、本人が日本語を話せたり、日本語のできる友人を伴ってみえることが多いので、診療に支障をきたすことは少ないです。性格は明るく友好的な人が多く、食べ物も、我が国の先輩ですから、とくに困ってはいないようです。宗教的には仏教ではなくて、儒教、道教の影響が強く、先祖崇拝など、これも日本の先輩です。それと中国人の分娩の特徴は、家族や友人・知人がたくさん訪れることです。子供を産むということを、ことの他喜ぶ風習をもっているようです。
 
 スーダンやイラクの人たちは、イスラム教の信者が多いのですが、同じくイスラム教でも、スンニー派とシーア派と宗派によって微妙に雰囲気が違います。スーダンの人はとくに問題なく受診されましたが、イラクの方は、戒律が厳しくて、女性は女性の医師が診る、ということになっているようです。一度入院の説明のため、私が通訳のかわりをしながら、お話をする機会があったのですが、表情の硬さと無口さに驚きました。
 
 インドの宗教は仏教ではなくて、主にヒンズー教です。ご存じない方もおられるかも知れませんが、ヒンズー教は世界三大宗教の一つです。キリスト教、イスラム教、それとヒンズー教です。仏教は信仰する人口から言って、世界ではマイナーな宗教です。
 インドのヒンズー教の女性は、とてもエレガントです。裸足で、音もなく外来に来られて、「ナマステ」と静かに両手を合わせて挨拶されます。そして、厳格な菜食主義です。日本ででもちょいちょい見かける、まねごとの菜食主義ではありません。宗教的信念に基づく生活信条としての菜食です。生き物を殺さない、ということですから、蚊も殺しません。
 そのインドの女性の診療で困ったのは、産科の内診のたびに泣かれたことです。イラク人のように、男性の医師を拒否するのではなくて、あまりに育ちがいいため、夫以外の男性に、見られたり、況や触られたりすることに、強い違和感や恐怖感をもっておられたようです。そこで、いつもついてくる夫を側に立たせて、手を握らせての診察でした。"Don't be afraid. No pain. You are a good patient, aren't you?" と言いながらの診察です。妊娠後期には、やっと泣かないで診察を受けてくれるようになって、笑顔も見られるようになりました。分娩も立派にされて、"I'm happy." と言いながら、本当に幸せそうに新生児を抱きしめていたのが、印象的でした。
http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/4312559083/

 民族の違いか、どの国籍の人も、日本人よりも大きな赤ちゃんを産みます。4000g近い赤ちゃんを、難なく産みますから、生命力が強いと思います。それと、どの外国人も、産むことを女としての自分の使命だと自覚していて、日本人のように、取り乱して、家族や医療従事者に泣きついたりする人はいません。いつも、"You are a real nice mother." と褒めてあげています。母になるということは、ひとつには自然の行為ですが、やはり、その厳しさを、自分の力で超えていく逞しさのなせるものだと思います。そうやって、自覚をもって母になったのなら、自分の子を、虐待したり、殺したり、そんな恥ずかしいことは、できないはずですよね。

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