卑屈な日本と卑劣なアメリカ
核密約が話題になっています。アメリカは逃げる一方で、ことアメリカに対しては、いつもどうしようもないくらい、卑屈な奴隷根性の日本です。這いつくばって、靴どころか肛門まで嘗めさせられて、金は貢ぐは、沖縄の土地や娘たちを提供するは、原爆被害には目をつむるは、大義のないイラク戦争に荷担するは、尻馬に乗って中国や北朝鮮と敵対するは・・・ああ、恥ずかしい国!
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100310k0000m040103000c.html
国民も国民で、アメリカ人と見れば、卑屈の極致。姓と名をひっくり返して英語風に自己紹介していたり。中国ではアメリカ人でも漢字表記して中国語風に発音します。華 国鋒が自分の名を、「国鋒 華 」なんて言いませんよね。どこの国もそうです。Yukio Hatoyamaでなくて、Hatoyama Yukioで通さなくてはダメです。Barack Obama が日本に来ても、Obama Barack とは言い換えないのですから。ところで、フォークの裏にご飯をくっつけて食べる、あの奇妙なテーブル・マナーって、まだ生きてるんですかね?
旅行者とおぼしきラテン系の外国人のカップルが、寺町のお好み焼き屋さんに入ってきたので、見ていると、たどたどしいながら、ちゃんと日本語でオーダーしていました。「とんとんやきおねがいします」と平仮名です。でもこれがマナーというものだと思います。われわれだって、アメリカ行くときは、多少の英会話は勉強して行くし、道を尋ねるときは日本語でなく、英語で話します。インテリジェンス最低のアメリカ人は、英語で我々に話しかけてきます。卑屈な日本人は、ウー・アーとか言いながら(涙ぐましいサービス精神)、得体の知れない英語もどきで対応しています。そんなアメリカ人に、「日本へ行けば女に不自由しない」とか、「日本の女はセックスを拒否しない」とか言わせて、恥ずかしいとも思わない日本人。鬼畜米英ではなかったのかなあ。
http://rsuzuki.exblog.jp/d2005-12-13
最近市バス内で、中日辞典を引きながら勉強していると、めずらしく多少は教養のありそうな?アメリカ人が話しかけてきました。はじめは、バスの中で辞書を引いて勉強していることに驚いた風でしたが、話しているうちに、中国は貧しい国だとか、自由のない国だとか、日本のマスコミでもお馴染みの、お決まりの論調になってきたので、どこの国にも、金持ちはいるし、貧乏人もいる、それとアメリカは決して自由の国ではない、ときっぱりと言ってやりました。300年間の長きにわたり、何百万人もの奴隷(奴隷貿易:一人200〜300万円で取引されました)を、家畜同然に使い捨てにして国力を築いてきておいて、当のアフリカ諸国に何の保障ももせずに、何が自由の国だと言いたい。今でも私の友人の黒人は、アメリカは自由の国ではない、とはっきり言っています。因みに、奴隷解放を人道的政策と勘違いしているおめでたい人が多いのですが、南部の農業奴隷を、北部の工業資本家のために、「自由に」自分の労働を売ることができる「自由人」に変える必要があったという資本主義の論理に過ぎません。自由主義とはそういう意味でしかありません。これが歴史です。南部農業資本が、歴史の必然で北部の工業資本に敗北しただけのことだったのです。解放された黒人奴隷たちが、相も変わらずちっとも自由でなかったことは歴史の事実です。
http://kunta.nomaki.jp/
これを読んだ人が、いやそれでもアメリカは自由の国です、と思っているなら、実際にアメリカで暮らしてみられればいいと思う。アメリカも日本も同じです。持っているお金の量で自由の大きさが決まります。これは、中国を含む、世界中どこでも同じことだということに、早く気づいた人が本当の「自由」に目覚めます。たとえばアメリカで、社会党員、共産党員として「自由に」活動できると思いますか? アメリカは反共の2大政党の支配する国です。中国を一党独裁と言いますが、資本主義の2政党があるから、独裁の国ではないとは言えません。資本主義政党が独占しているだけです。アメリカでは社会主義・共産主義政党はマッカーシーのレッドパージで壊滅しました(自由の国アメリカ?)。中国で資本主義政党が活動できないことを、資本主義の国がとやかく言う筋合いではないのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100310k0000m040103000c.html
国民も国民で、アメリカ人と見れば、卑屈の極致。姓と名をひっくり返して英語風に自己紹介していたり。中国ではアメリカ人でも漢字表記して中国語風に発音します。華 国鋒が自分の名を、「国鋒 華 」なんて言いませんよね。どこの国もそうです。Yukio Hatoyamaでなくて、Hatoyama Yukioで通さなくてはダメです。Barack Obama が日本に来ても、Obama Barack とは言い換えないのですから。ところで、フォークの裏にご飯をくっつけて食べる、あの奇妙なテーブル・マナーって、まだ生きてるんですかね?
旅行者とおぼしきラテン系の外国人のカップルが、寺町のお好み焼き屋さんに入ってきたので、見ていると、たどたどしいながら、ちゃんと日本語でオーダーしていました。「とんとんやきおねがいします」と平仮名です。でもこれがマナーというものだと思います。われわれだって、アメリカ行くときは、多少の英会話は勉強して行くし、道を尋ねるときは日本語でなく、英語で話します。インテリジェンス最低のアメリカ人は、英語で我々に話しかけてきます。卑屈な日本人は、ウー・アーとか言いながら(涙ぐましいサービス精神)、得体の知れない英語もどきで対応しています。そんなアメリカ人に、「日本へ行けば女に不自由しない」とか、「日本の女はセックスを拒否しない」とか言わせて、恥ずかしいとも思わない日本人。鬼畜米英ではなかったのかなあ。
http://rsuzuki.exblog.jp/d2005-12-13
最近市バス内で、中日辞典を引きながら勉強していると、めずらしく多少は教養のありそうな?アメリカ人が話しかけてきました。はじめは、バスの中で辞書を引いて勉強していることに驚いた風でしたが、話しているうちに、中国は貧しい国だとか、自由のない国だとか、日本のマスコミでもお馴染みの、お決まりの論調になってきたので、どこの国にも、金持ちはいるし、貧乏人もいる、それとアメリカは決して自由の国ではない、ときっぱりと言ってやりました。300年間の長きにわたり、何百万人もの奴隷(奴隷貿易:一人200〜300万円で取引されました)を、家畜同然に使い捨てにして国力を築いてきておいて、当のアフリカ諸国に何の保障ももせずに、何が自由の国だと言いたい。今でも私の友人の黒人は、アメリカは自由の国ではない、とはっきり言っています。因みに、奴隷解放を人道的政策と勘違いしているおめでたい人が多いのですが、南部の農業奴隷を、北部の工業資本家のために、「自由に」自分の労働を売ることができる「自由人」に変える必要があったという資本主義の論理に過ぎません。自由主義とはそういう意味でしかありません。これが歴史です。南部農業資本が、歴史の必然で北部の工業資本に敗北しただけのことだったのです。解放された黒人奴隷たちが、相も変わらずちっとも自由でなかったことは歴史の事実です。
http://kunta.nomaki.jp/
これを読んだ人が、いやそれでもアメリカは自由の国です、と思っているなら、実際にアメリカで暮らしてみられればいいと思う。アメリカも日本も同じです。持っているお金の量で自由の大きさが決まります。これは、中国を含む、世界中どこでも同じことだということに、早く気づいた人が本当の「自由」に目覚めます。たとえばアメリカで、社会党員、共産党員として「自由に」活動できると思いますか? アメリカは反共の2大政党の支配する国です。中国を一党独裁と言いますが、資本主義の2政党があるから、独裁の国ではないとは言えません。資本主義政党が独占しているだけです。アメリカでは社会主義・共産主義政党はマッカーシーのレッドパージで壊滅しました(自由の国アメリカ?)。中国で資本主義政党が活動できないことを、資本主義の国がとやかく言う筋合いではないのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0
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