京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Nov 8, 2010

美しい? 立ち読み小僧のエピソード

 11月3日の朝日新聞の天声人語に紹介されたお話です。その元になる本を持っていたので、原典からそのまま引用します。

 「十九世紀のヨーロッパでの話。ひとりの本の好きな少年が、いつも仕事の行き帰りに書店の前で立ち止まり。ショーウィンドーを眺めていた。そこには一冊の本が、巻頭の扉をみせて飾られてあった。読みたくてもその子には本を買うお金がなかった。ある日、ショーウィンドーをのぞくと、本のページが一枚めくられてあり、少年はその開かれたページを読んだ。翌日もまた、ページが一枚だけめくられてあり、少年はつづきを読み進んだ。そんなふうにして毎日めくられてゆく本を、少年は何か月もかかってすっかり読み終えることができた。
 毎日、さも読みたそうに本をのぞきにくるその子の姿を見て、その店の主人がさりげない心づかいを示してみせたのだった。」(鶴ヶ谷真一「月光に書を読む」平凡社、 pp81〜82)

 本を読む、というか、本に親しむことが少なくなった近頃では、「立ち読み」の情景も以前ほどは見かけなくなりました。以前は本屋の主と立ち読み小僧のイタチごっこは、町の本屋の定番でした。
 高校時代、自宅の数件先に小さな本屋さんがありました。当時としても流行らない本屋さんで、お客さんも滅多に見かけませんでした。そこのご主人が、面白いことを言われたことがあります。「うちでは立ち読みは歓迎です。自分が子供のころ、立ち読みをしてよく本屋の主に叱られてましたから、子供たちに立ち読みを許してあげたい」と。残念ながら本屋には厳しいご時世で、ある日その本屋さんも静かにお店をたたまれました。

 本屋さんと言えば、数年前京都河原町通りの「丸善」が閉店したのは痛かった。(河原町の落日の始まりです)本屋さんへ行くのは、ネットで本を探すのとは全く違う、暇つぶしというか、ちょと知的な自己満足を満たすレクレーションです。探しているわけでもなく、ふとある書に出会う衝撃は、旅先での出会いに似た予期せぬ喜びなのです。感動した書のうちには、著者にメールを送って友だちになったりもします。はるばる新幹線に乗って会いに行ったことさえあります。
 絶版になって手に入らない本を、街の個人書店でみつけてうれしかったこともある。新潮文庫の杉浦日向子著「もっとソバ屋で憩う」を見つけたのは東山三条を東に入ったところにある書店「アリス」さんでした。歩行の隙間もないくらいギッシリの書棚の中に見つけた時の喜びは、言葉になりません。

 最後に、先に引用した本から、もうひとつエピソードをご紹介します。
「泉鏡花は原稿執筆のおり、ふと忘れた字があって傍らの夫人に尋ねた。夫人が宙に指で書いてみせると、鏡花は<ああ、そうか>と言ってから、真顔で<早く消せ>と言ったそうである。尊い文字をそのまま書きっぱなしにしておいては、霊ある文字は後でどのような祟りをもたらすかもしれない・・・。鏡花は言葉に霊力を認め、言葉のほうでもそれに応えてみせたのだろう。」(同前、p32) 

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