だぼはぜのような

当時日本人は、外国といえば支那やシャムくらいしか知らなかった時代のこと。西欧を見た中浦の自負が大きなものだったことを物語っています。
外国の諸事情に接するにつけ、往年・近年の日本の外交姿勢をみるにつけ、いつも心をよぎる高村光太郎の詩があります。
頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫った根付の様な顔をして
魂をぬかれた様にぽかんとして
自分を知らない、こせこせした
命のやすい
見栄坊な
小さく固まって、納まり返った
猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、 鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人 (根付の国 )
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