京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Aug 31, 2010

Twitter うるさい子供とOL

 今をときめくのTwitterネタです。

 「出社する時の地下鉄で、『子どもがうるさいので降りてくれませんか。みんなこれから働くんですよ』と親子連れに意見したOLに遭遇。泣きそうな顔で子どもを連れて降りたお母さんに勝ち誇った顔をしたOLに嫌悪感。スーツ姿でパリッと決めたキャリア志向さんなんだなぁ。」

 これ、多分誰もが経験したことのあるエピソードかも知れません。でも、黙って我慢しているのが普通ですよね。
http://www.2gnk.com/situke/2.html

 日本の社会は未熟です。まず、「公共」という概念が希薄だと思う。どこでも煙草を吸う人がいるし、電車内での携帯電話での大声の会話は相変わらず見受けます。車内で化粧していたり、おにぎりを食っていたり、大きなリュックを背負っていたり、まあ何でもありです。新幹線の横の席で餃子を食われたときは、鼻がちぎれそうなほど臭かった。一昔前にあった、ウォークマンの音漏れはさすがに最近ではないようですが。あれ、カシャカシャとうるさかったなあ。本人は体を揺すってたりして、ノリノリなんだけど、没知性そのものだった。携帯での通話について、中国人の友人に聞いてみたら、別に迷惑じゃあないと言っていました。携帯でなくても大声で話している人がいるし、同じことだというご意見でした。この辺には国民性があるのかも知れない。
http://daddy-style.main.jp/kaji-souron37.html

 混み合った車内で、子供の泣き声は、やっぱり迷惑ですよね。外国では子供を入れないレストランがありますが、これは子供とは別世界を演出したいからだと思う。電車とレストランは違いますが、逃げられない車内での子供の泣き声は、癇に触ることは理解できます。百貨店のエレベーターに、どう見ても歩ける年代の子供を乗せた大きなベビーカーで乗り込んでくる親にもあきれます。自分の子供の可愛さに負けてしまっています。自分の子供だから可愛いだけで、他人から見れば、ただ邪魔でうるさいだけだと、理解できないのでしょうか。近所のおばちゃんが、お世辞で「まあ可愛い」なんて言うから、真に受けてしまってるお人好しの親が多くて。それにしても最近のベビーカーはでかい。街中でも十分邪魔。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/news/1282548845/

 近所の児童公園とか、東京ディズニーランドとは違って、公共の場で、子供が泣いたり騒いだりしない躾けはかなり高度な技です。それができないなら、せめてそれが他人にとって迷惑だという認識くらいはもってほしいと思います。よく怒っているふりでごまかしている親がいますが、子供はそんなふりでは黙りませんよね。泣く子供ではなくて、親に「公共の場」だという意識がないのです。子供なんだから、皆もっと寛容であるべきだ、みたいな親のエゴが丸見えで、みっともない。
http://happy-ikuji.jugem.jp/?eid=311

 やはりさっと電車を降りて、泣き止んでから再乗車するか、タクシーを利用するか、くらいの機転がないと、スマートな子育ては難しい。
http://www.mncc.jp/comparison/comparison02.htm

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Aug 29, 2010

大リーガー ピート・グレイ 夢と自由について考える

 大リーグの 「セントルイス・ブラウンズ」 がピート・グレイの採用を決定したのは1945年のことでした。そして、そのピート・グレイの初打席。
 彼は大きく息を吸って、バッターボックスに入りました。 
1球目、空振り。2球目、空振り。3球目、空振三振、とピートの初打席は、三振に終わりました。 でもその三振を見て、スタンドの観客達は、総立ちになり、終わらない拍手を送りました。
 ん? 大リーグの試合で、三球三振。なのに 「観客達は、総立ちになり、終わらない拍手」?

 ピート・グレイは1915年、ペンシルバニア州の小さな町に生まれました。子供の頃、父が野球の試合を見に連れていってくれたのを機に、将来野球選手になる夢を持ちます。ところが、6才のとき事故にあって大怪我をしてしまい、悲観してその夢をあきらめようと父に相談します。父は 「何を言っているんだ。あきらめるな!人間、やる気になればできないことはないんだよ」 とピートを励まします。そしてピートは、その日から夢に向かって長くて、辛い道のりを前進してゆくことになります。

 ピートは、地元の草野球チームに入りますが、一度も練習には参加させてもらえませんでした。それでも彼は、文句も言わずひたすら球拾いと、一人で素振りに励みます。同時に彼は、地域の野球学校へ通いながら、いろんな球団の入団テストを受けますが、ことごとく、落ちてしまい一向に入団は叶いません。

 しかしピートは、お父さんの言葉通り、諦めませんでした。

 そんな彼に、24才の時、ニューヨークのセミプロ球団、「ブッシュウイックス」 から声がかかります。ピートは 「大好きな野球ができるなら、セミプロ球団でもかまわない」 と、喜んで入団、そして、そこで、素晴らしい成績を残しますが、その活躍を見ていた、マイナー・リーグの「スリーリバース」 という球団の監督に大抜擢されます。そして、ピートはこの 「スリーリバース」 で打率.381で首位打者を獲得することになります。

 そして1943年、AAAの 「メンフィス・チックス」 に昇格、そして彼は、打率333、本塁打5、盗塁68という素晴らしい成績を残し、ついにこのチームで MVP を獲得、そして、ついに幼い日の夢が叶います。1945年大リーグの 「セントルイスブラウンズ」 がピート・グレイの採用を決定したのです。そして、夢にまでみた大リーガーとして、上に書いた運命の第一打席が訪れました。

 何故 「スタンドの観客達は、総立ちになり、終わらない拍手」 を送ったのでしょうか?

 実は彼は、6才の時の鉄道事故で右腕を失い、片腕の大リーガーだったのです。

 試合後のインタビューで彼は、苦笑いしながら 「涙でボールが見えなかったよ・・・」 と言っていたそうです。


 片腕の少年が、野球を志して、大リーガーになるまでの努力は、私のような凡人には想像さえできません。が、夢を捨てなかった少年と、彼を励まし続けた彼の父のすごさには、深々と頭を下げたい思いです。私はこの話を読んだときに、いつまでも涙が止まりませんでした。
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%83s%81%5B%83g%81E%83O%83%8C%83C/

 私たちは、「夢」や「自由」について考えたり、語ったりすることがあります。でも果たしてそれを、自分のこととして、真剣に考えているでしょうか。「そんな夢をみたこともあったけど」、で終わっていないでしょか。結局 「なりたい自分」 をさっさと諦めて、「なりうる自分」 に妥協して終わっている場合が多いのではありませんか?「だって無理だもの」 と自分に対して、弁解していないでしょうか。「自由」についてはもっと深刻です。片腕の少年に、大リーガーになる自由はあるでしょうか?それを証明してみせたピート・グレイに対して、私たちは、恥ずかしくないでしょうか。私たちは自分が「自由」だと思っています。そして日本は「自由」 な国だと信じて疑いません。しかし、今、あなたが右腕を失って、プロの野球選手になりたいと言ったとき、家族や友人や、球団関係者は、何と言うでしょうか。それより先に、自分に対して言い訳をして、さっさととその夢を捨て去る 「不自由」 の道を選ぶのが普通ではないでしょうか。これが私たちの言う 「自由」 でしょうか?そして、これが「自由」 の国での選択肢でしょうか?

 自由とはとても重い概念で、大抵のひとはその重みに耐えられないで、「不自由」 の選択肢を選んで生きています。
 何でも、自由に選択できるのに、「難しいから」 とか、「親や先生に反対されるから」 とか、「失敗したら恥ずかしいから」 とか、何とかかんとか言って、j自分で自分を納得させて、自分の「自由」 を放棄していませんか?あまり無理をしないで、何とか食べていければいいや、なんてみみっちい生き方を選んでいませんか?

 ピート・グレイ一番好きな言葉は
 "A winner never quits." (勝利者は決してあきらめない)
だったそうです。
 やる前から、諦めてはいけないですよね。
http://www.amstkk.net/petegray.html

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Aug 28, 2010

悪とは

 善は善い、悪は悪い、そんな皮相の認識では、善悪の本当の意味は把握できません。

 新しいものは「悪」として登場します。今の秩序を変えようとするものは「悪」と呼ばれて、差別、迫害されます。そして、悪が暴力で古い秩序を転覆して、新しい秩序を作ると、今度は、もっと新しいものを「悪」として自分が差別する側に転落します。

 資本主義は封建的絶対王政にとっては「悪」でした。土地に縛り付けられた農奴を解放して、自分たちの工場の労働者を確保する必要があったからでした。「自由に」自分の労働を売ることができる貧民が必要だったのです。誰かに雇ってもらわないと食べてゆけない、資本の思いのままになる新しい「奴隷」が必要だったのです。資本主義は流血の革命で誕生したのです。アメリカの奴隷解放だって、黒人たちを土地に縛り付けられた「不自由」から、「自由に」自分の雇い主を選べる資本家にとっての「奴隷」に変えただけです。暗殺されたキング牧師は、「我々はアメリカでは永遠に自由になれない」と言っていました。私の友人のアメリカの黒人も「色が黒いというだけで、ひどい差別を受ける」と言っています。アメリカは数知れない黒人奴隷を雑巾のように殺してのし上ってきた、人類史上最悪の差別国家です。
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-91.htm

 今の日本人だって、誰が一体自由だというのか。会社にクビを切られれば、明日から生きていけない奴ばかりです。会社に許された範囲で、必死で気を遣って、自分のささやかな収入の範囲での「自由」がすべてのみすぼらしい生活です。

 そして資本主義の親玉のアメリカは自分とは違った考え方をするものを、大声で「悪」と呼ばわっています。イラクが大量破壊兵器を持っているとか、北朝鮮の核開発を許さないとか、中国が軍備を拡大しているとか。世界一の軍備をもっているのはアメリカです。世界一大量破壊兵器である核兵器をもっているのはアメリカです。しかも、それを実際使ったのもアメリカです。ベトナム共産党jにアメリカは敗れました。アルカイダにだって、あれだけの兵力をつぎ込んでも勝てないのです。アメリカに原爆を落とされておきながら、そのアメリカの奴隷になって、その核の傘に隠れて、後ろ盾をもたない弱者である北朝鮮に番犬のように吼え続ける日本のみじめな姿は、目に余る。「鬼畜米英」じゃなかったのかよ。

 親の言うことを聞かないから、先生の言うことを聞かないから、「悪い子」と呼ばれても、子供には子供の論理があります。あんたたちが子供だった頃とは違うんだよう、と子供は言っています。政治家や役人がいつも善だと思う人は、さすがにいないと思います。先生だって、親だって、古臭い説教を垂れて、子供たちを苦しめて、その将来への邪魔になっているんですよ。私は悪い子でした。今も悪です。親の言うことは聞かなかったし、自分の親を心底恥ずかしいと思っていた。先生たちにも逆らって、殴られたり、訴えられるぞと脅されたりしました。医師になってからも、上司に殴られたことがある。社会も人間関係も、新しく、善くならないといけないと、ずっと思い続ける、悪い奴なのです。

 つっぱって生きる若者はプチ悪者です。今の賢こぶった社会が、自分に何もしてくれないことを知っています。「反抗」は社会という「善」に対する抵抗です。見ている人は、自分はあんなじゃあない、自分は「善」の側にいる、と安心しています。波風を立てないのが正しい生き方だと飼いならされているのです。
 日本に自分は社会に波風を立てない「善人」だという人がいる限り、沖縄は基地から解放されません。国民の多数が、「悪」の歴史的意味を知って、「悪」と呼ばれることを恐れず、アメリカと、その番犬のような政府に「NO」と言える勇気を持てるようになれば、日本国はそのとき初めて自由で独立した国家になれます。自由とはそういうものです。「悪」とはそういうものです。

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Aug 25, 2010

都ちゃん、まだかなあ?

 京都ブライトン・ホテルの「チャペル・アクティス」で開催された「アクティス・ドリーム・コンサート」へ行ってきました。
http://www.brightonhotels.co.jp/kyoto/hotelevent/concert/index.html/

 出演は、飯野真美(ソプラノ)、芳野都(ソプラノ)、前田亜由美(ピアノ)の面々で、いずれも同志社大学・音楽学科に在籍されているようです。

 曲目はモーツァルトの「フィガロの結婚」より「お先にどうぞ」に始まって、シューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」、プッチーニの「ラ・ボ エーム」から「私がこの町を歩くと」、などを歌って、最後に「薔薇の騎士」から「気高くも美しき花嫁に」で締めくくりでした。

 どのナンバーも日頃の特訓の成果あり、聴き応えがあり、特に「薔薇の騎士」はよく練れていたと思いました。さすがです。

 で、最後にアンコール・ナンバーでしたが、芳野都さんが着替えをしていたため、少し待ち時間ができました。そこで場をつなぐ話題に窮した飯野真 美さんの一言が
「都ちゃん、まだかなあ?」
 でした。飯野さんの真剣で、大舞台に?緊張した、心細げな表情が微笑ましく、観客の笑いを誘いました。やがては大歌手になって、国際的なステー ジで、ソロで観客を酔わせる歌姫になる、卵たちの若き日のエピソードになるのでしょう。

 京都ブライトン・ホテル(075-441-4411)の「「アクティス・ドリーム・コンサート」は滋賀、京都、大阪の若手アーティストのため に、定期的に催されている模様です。ホテルは御所の西、中立売御門のある烏丸中立売を西に入ったろころにあります。中立売御門は禁門の変で有名な蛤御門の 北方に位置しています。
 ホテルへは市バスの便は不便なので、地下鉄今出川駅が最寄りです。参考までに新風館に近い烏丸御池の北東からシャトル・バスが1時間3便運行さ れています。
http://www.weblio.jp/content/%E7%A6%81%E9%96%80%E3%81%AE%E5%A4%89

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Aug 24, 2010

フリッカーとゲッティ・イメージ

 趣味の写真ですが、デジタル・カメラのおかげで、ネットに写真を保存というか、公開しています。フリッカー (flickr) という巨大なサイトで、世界中の写真好きが集っています。分単位で数千枚の写真がアップされるサイトで、プロクラスから、それほどでもない人まで、世界の国々の写真の好きな人たちの作品に出会うことができます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Flickr
http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/

 作品は公開できますが、友人のみが閲覧できる設定も可能です。100枚程度ならサイト使用量は無料ですが、会費を払うと使用容量は無限になります。言語は英語が基本です。中国語やアラビア語など他の言語も可ですが、日本語はややマイナーで、記録はできますが、日本語を理解できる外国人はわずかですから、対話には不適です。英語、中国語、アラビア語、スペイン語、ロシア語などと違って、日本語は極めて非国際的な言語です。
 投稿した写真は、誰でも自由にダウンロードできますが、できない設定も可能です。

 Flickr の入会はネットから簡単です。ただ、アメリカの YahooのID を取得する必要があります。アップした写真は全くプライベートのアルバムとして使用することもできますが、友人のみに公開することもできますから、お互いに他の写真をダウンロードできますから、写メする手間が要りません。
 写真を通して世界中に友だちを作ることができます。先日オーストラリアから日本へ撮影に来られた方(何と!プロの写真家でした)と歓談する機会がありました。フランス、アメリカ、ブラジル、中国、イタリアなど、遊びに来いとのご招待がありますが、日本は外国が遠い国で、なかなか実際には行けませんよね。
 また時には、日本との比較文化の研究の資料に使わせてほしいという依頼があったりもします。ある時は、英国のあるレストランから、客席のテーブルのデザインの素材に使用させてほしいという申し出があり、作品を提供したことがあります。ロンドンへ行ったら是非そのお店を訪ねたいと楽しみにしています。そんなこんなで、私の写真が本に取りあげられて出版された回数も3回に及びます。出版された場合は、その本は送ってもらえますから、記念になります。
 

 Flickr は世界的な個人の写真データベースですが、これが商業的になったのが ゲッティ・イメージ Getty Images という組織です。写真に深入りしている人ならご存知だと思いますが、世界一のデータベースを誰もが簡単に利用できて、有料でお気に入りの作品を利用することができます。パンフレットやちらしの作成に便利ですね。プライベートな写真だけでなくて、プロの写真家の撮った世界史の決定的瞬間の画像も豊富にプールされています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%BA
http://welcome-to-gettyimages.jp/
http://www.gettyimages.co.jp/?esource=googJPN_Site_Links_Getty_Images_Exact&language=ja&kw=JPN+getty_images+exact

 Flickr に参加していると Getty Images から勧誘があったりします。彼らが売れそうだと思った作品をアップロードしてほしい、とのメールが届くのです。私も誘われるままに、数点の写真をアップしましたが、ちょっとしたお小遣い稼ぎになります。世界的なサイトなので、人物写真はモデルの承諾を厳しく問われるのですが、花やペットや風景ならその心配はありません。世界中の企業などが、自社のイメージ・アップのためのメディアを物色しています。そこいら辺の雑誌のコンテストで入賞するのとはレベルが違いますよ。腕自慢の方はお試しになってはいかがでしょうか?
http://www.value-press.com/pressrelease.php?article_id=63119

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Aug 20, 2010

京の地蔵盆

 8月23、24日は地蔵盆です。京都で育った人には、ごく当たり前の、夏休み終盤の子供のお祭りです。思えば京都とはそういう街なんだと、しみじみと感じる、懐かしいご近所の催しでした。
 古くは「地蔵祭り」と言われていて、地蔵の縁日である24日に、子供の守り仏である地蔵を祀る、子供の祭りとして定着しています。京都では町々にある地蔵を中心にして、お菓子や玩具が配られて、ゲームをしたり、福引きがあったり、本格的になると「百万遍大数珠繰り」をしたりして子供たちのために時間が過ぎていきます。
 この日は、子供たちも、一切の義務や柵から解放されて、終日自由気儘に過ごせる、正に子供の天国です。
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/rekishi/reki26.html
http://www50.tok2.com/home/myunclek/jizo.htm

 地蔵祭が先祖を祀る盂蘭盆とどう関わっているのかは不明です。つまり何故お盆と同じ月に催されて、「地蔵盆」と呼ばれるようになったのかはわかっていません。平安の昔、子供たちが辻で塞の神を祀って往来の人びとに銭を乞うていた記録が残っているそうです。だとすれば、辻に祀るのが地蔵ならば、地蔵盆と同じもので、平安の初期から、続いている子供の祭りだということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E3%81%AE%E7%A5%9E

 また地蔵祭には、もう一つの行事があります。それは都の六地蔵を一日で巡る、地蔵巡りがそれです。
 六地蔵は平安の初期に当時の奇人というか、怪物とも言える小野篁が自分で彫った六体の地蔵を現在の伏見区六地蔵の地に安置したことに起源をもつ話ですが、六地蔵はまた、平清盛が西光法師に命じて、都に入る七つの街道の入り口に、それぞれ六体の地蔵尊を祀ったことからも、現世利益の地蔵信仰が庶民の生活に根付いて行くにつれて、地蔵祭に結びついていったものと思われます。
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/rekishi/reki24.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E3%81%AE%E4%B8%83%E5%8F%A3
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/rokujizou-meguri.htm

 地蔵盆と言えば、その内容を考えると日本全国にあっていい習俗のようですが、実際には、京都のもの、と言っていいくらい他の地方ではみられないようです。始めからないのか、あるいは、中止されていったのか、私は知りません。明治維新の馬鹿げた「廃仏毀釈」の嵐の中で、京都以外の地では、地蔵信仰そのものが、哀しいことに、生き長らえることができなかったせいかも知れません。もしそうなら、子供と子供を守る仏を、守っていこうとしなかった「維新」って一体何だったのですかね。
http://www.photo-make.co.jp/hm_2/ma_20.html
 

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Aug 13, 2010

キャス・キッドソン グッズをゲットする

 ロフト・カードなど、セゾン系カードの永久不滅ポイントで今、キャス・キッドソングッズが交換できます。なんだかセゾンの回し者みたいですが、別に何ももらっていません。景品のグッズが結構可愛いものなので、ご紹介いたしました。交換期間は9月30日までです。
http://www.eikyufumetsu.jp/rc/cathkidston/

 近頃の雑誌の付録ブームは凄まじくて、いかにもそれらしいバッグを、うれしそうに(!)持って歩いている人を、街や車中でよく見かけます。キャス・キッドソン(Cath Kidston )もすでに3回?宝島系の雑誌の付録でお目見えしています。それぞれ可愛いアイテムです。キャス・キッドソンは今年、京都の大丸にも出店して、いつも門前列をなす盛況です。ひとつひとつのアイテムが、ルイ・ヴィトンやエルメスほど高くなくて、どこかノスタルジックで、何より可愛いのが、受ける理由でしょうか。店の前に立ち止まったもう老人といってもいいご年齢ののご婦人が、「可愛い!」と言って、お店に飛び込む姿を何度か見ました。当世的女殺しですね。
http://www.cathkidston.co.uk/

 どうでもいいのですが、キャス・キッドソンは英国のブランドですが、ニューヨークにKITSON (キットソン) というブランドがあります。「ド」と「ト」の違いです。紛らわしい。これも最近雑誌の付録に登場しています。似ていますが、キャス・キッドソンの偽物かと思いきや、そうではなくて本物で、とんと知りませんでしたが、アメリカでは有名なセレブ・ブランドだそうです。
http://hsy1.net/_kitson/15_1.html

 永久不滅ポイントと言えば、貯まった点数に応じて、それなりの景品が準備されていますが、10、000、000点貯めると、(そんなに貯まるわけないだろ!)「プライベートジェットで行くハワイ10日間の旅、4名様分」とか、1400,000点で「スタインウェイ・グランドピアノS−155(椅子付き)」とか、貯めるとすごい景品と交換できます。が、欲張って、貯める途中で寿命がきたりすることも、あるのかも知れません。そら寿命来るわ。
http://www.eikyufumetsu.jp/search.php?pA=100000&pB=0&sort=asc

 セゾン・カードを使う機会のない方には、このカードを携帯電話のお支払いなどに利用すると、知らないうちに結構貯まっています。私はSoftbank携帯の支払いに利用しているので、最近2300ポイント貯まっているとお知らせがあって、しめしめ!キャス・キッドソンとの交換を企んでいます。実はSoftbankは携帯3台を含めて、4口分の契約をしているので、同社には結構ご奉仕しています。孫社長に、
iPADくれ!
と言いたい。

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Aug 11, 2010

腹痛発作、自分で内科診断学

 木曜日、18時頃、急に左の季肋部痛に襲われました。急性腹症です。冷や汗ものでした。とにかく痛い。左の肋骨下から、側腹、背部に放散する痛みです。真剣に救急車を呼ぶべきか、考えました。

 一番恐れたのは、腸間膜動脈の血栓症です。もしそうなら、広汎な消化管の壊死を発症する危険があり、超救急です。次に考えたのは、急性膵炎です。飲酒はしないですが、何らかのストレスから発病したのかもしれません。左の尿路結石も怪しい。もう一つ、腸閉塞もあり得ると思いました。熱はないので、炎症性疾患はとりあえずないものと診断する。

 初めての痛みです。下痢も嘔気もない。それに鼓腸はない。ということは、消化管ではない可能性が大きい。直腸癌があって、腸管が狭窄して、腸閉塞症状を発症、という可能性は低そうだ。疝痛発作ではないように思った。持続痛です。歩けるようになって排尿しましたが、肉眼的血尿なない。なら、尿路結石ではないのではないか? ちょうど豚肉のお好み焼きを食べていたので、やっぱり膵炎が怪しい。なら、膵臓癌もありうるか?季節柄脱水症状が影響しているかも知れないと思うと、結石の可能性は捨てがたい。

 食事中だったが、とても食事を続けられる状態ではない。体位にかかわらず痛い。座席で七転八倒している。やっぱり救急車か? でも、病院に到着したときには、疼痛がすっかり治まっているという可能性も十分ありうる。それは医師として、恥ずかしい。タクシーを呼んでもらうか?

 15分くらいで痛みが治まってきた。歩ける。なら、ひとまず家に帰って横になって考えよう。これなら、バスで帰れそうだ。自宅に着いたころには、疼痛はすっかり治まっていて、空腹感を覚えた。そこで、食事の準備をして2度目の夕食となったのですが、もうあの発作は起こらなかった。なら、膵炎ではないのではないか?

 翌朝、病院へ行って、取りあえず、どの科にも受診せず、単純の腹部CTスキャンをオーダーしました。結果で必要なら、MRIや、造影の検査を考えることにしました。このCTで診断が確定しました。結局、終始無投薬での診断確定、症状緩解となりました。

 さて、診断は何だったでしょうか? 因に、その後発作の再発はありません。が、病気は持ったままです。治療に関しては、放置可かどうか、考えているところです。

http://www.hiroshima.med.or.jp/kenkojoho/booklet/10/book001.htm

 教養課程から医学部に上がった最初の講義が「外科診断学」でした。教授が、「胸痛を主訴に患者がやって来た。で、最初に何をするか」と講義を始めました。指名された一人の学生が「痛み止めをします」と答えると、教授は、「それは典型的な藪医者のすることだ」と一喝。その学生は、とても優秀な人でしたが、国家試験に不合格でした。でも、もともと優秀な方ですから、今ではとても立派な先生になっておられます。
 内科にしろ、外科にしろ、腹痛や頭痛の原因は山ほどあって、その正確な診断は、容易ではありません。どうか誤診する医者を、安易に責めないでやってほしいものだと思います。上に挙げた、左季肋部通の鑑別診断には、白血病まであがってきます。救急は大変なんです。

 誤診の例で、最近うちの産婦人科であった症例を紹介します。
 50歳の女性が不正出血で来院されました。外来担当医は、型どおりに婦人科の診察をして、子宮の腫瘍と診断、手術の予定を組みました。同時に実施したMRIの診断も同様で、悪性腫瘍を否定できない、とのことでした。
 ところが、この患者さんが数日後、大出血で私の当直勤務の夜、救急で来られました。実際の出血の様子と、超音波検査をして、「妊娠してませんか?」と患者さんに問うと、可能性はありますとのご返答でした。子宮内容を取り出してみると、予想通り、肉眼的「胞状奇胎」です。直ちに緊急手術の手配をしました。

 初診時に超音波検査がされていて、MRIまで実施していたのに誤診されていました。「胞状奇胎」は極めて特徴的な超音波所見があり、産婦人科医なら、それだけで誤診することはまずありません。何故誤診したのでしょうか?
 第一に、50歳という年齢から、「妊娠」の可能性を全く考慮していなかったのが最大のミスでした。初診時に妊娠反応検査を実施していれば、診断を誤ることはなかったものと思われます。産婦人科の診察に先立って、最も重要な情報は、患者さんの「最終月経」です。この患者さんの場合、実際の最終月経は去年の10月か、11月だったと思われるのですが、流産のため断続的に不正出血があったため、その不正出血を月経と誤ったことが悔やまれます。
 産婦人科医の座右の銘に「女を診たら妊娠を疑え」と言います。長く仕事をしていて、自信がついたころに、その銘を思い出させる症例にぶち当たって、反省を強いられるのです。

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Aug 8, 2010

広島、長崎、沖縄

 タイトルだけで、何を言いたいかがわかる、のでこれでおしまいでもいいのですが。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1182497625/l50

今手元にある「ありふれた長崎」という書(松村明著:2010年、窓社刊)を著者は
「8月9日<今日長崎原爆の日>を伝える新聞記事が、100字以内でしか扱われないことが起きている」と書き起こしています。
 また戦時中のエピソードとして、「<戦争は最大の罪悪である>と述べたのは竹中彰元帥。彼は、1937年に日中戦争を批判。<このたびの事変に就て他人は如何に考えるか知らぬが、自分は侵略のように考える。徒に彼我の生命を奪い、莫大な予算を費い、人馬の命を奪うことは大乗的立場から見ても宜しくない。<戦争は最大の罪悪だ>として反戦を唱えた。その結果、陸軍刑法で禁固刑を受け、宗門の真宗大谷派本山より免職処分された>と紹介しています。
 人間の生命と幸福を最も大事にしなければならないはずの宗教さえ、戦争に加担していた恥ずかしいお話ですが、同じく戦争に加担したマスコミが、いままた、被爆問題の隠蔽・幕引きに転じていっている様子が明らかです。

 とくにNHKの報道はひどい。タイトルにあげた3県は、いずれも先の戦争の犠牲を、世界レベルの悲惨さで、今も被り続けている県です。NHK をはじめとする戦争にまつわるこれら3県の報道は、毎年毎年その悲惨さを強調して、「可愛そう」という姿勢に終始しています。出演者も「この事実を後世に 伝える」ことの重要性を吐露して、それでおしまい、というお粗末な編集です。こんな悲しい出来事が二度と起こらないことを祈る、レベルの意識では戦争はなくなりません。戦争が金儲けになる現実をなくさないと、ダメ。
http://qa.fresheye.com/qa/view.php?qid=1344871108&kw=%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB
http://www.workers-net.org/wk87item.html

 「広島、長崎、沖縄」に共通するのは、アメリカの戦争犯罪です。これを明らかにして、その責任をとらせる姿勢に立たなければ、日本の戦後はあり ません。沖縄はまだ占領されています。アメリカはイランや北朝鮮の、まだありもしない核兵器を云々してその危険を強調していますが、世界で最も大量の核兵 器を実際に保有して、しかも、現実に使用したことのある唯一の国です。最も危険で破廉恥なのはアメリカなのです。今年、国連の事務総長が始めて広島の平和 式典に参加されました。これまで何故参加してこなかったのかといえば、原爆を落としたアメリカを攻めるように受け止められるのを恐れたからだったというで はありませんか。国連はアメリカが怖いのです。歴代日本政府も、アメリカが怖い。オバマが広島と長崎に来て、被爆者に謝罪するのが筋です。そして、しかる べく戦後補償をしなければなりません。
 それにしても、広島の平和式典の中継を途中で打ち切って潘基文(バン・キムン)国連事務総長の挨拶を放映しなかったNHKの汚さは何なんだと、情けなくなる。潘基文さんは、ヒラリーに「あなたも式典に参加すべきだ」と電話しています。そのことを何故、報じないのか?
 NHKの、戦前、戦中の大政翼賛時代の報道と、何一つ変わらない反国民性は何故なんだろう。これで聴取料を払え、なんてよくも言えたものだと、腹立たしい気持ちでいっぱいです。NHKは当時は報道で軍部の協力した、汚れた歴史を持っているのですから、広島についても責任の一端を担うべき組織です。

http://www.jiji.com/jc/v?p=vs_end-of-pacific-war19
http://www.2ch-vivi.mydns.jp/2010/04/post-356.html

  5月3日、イラン大統領は「米国は、日本に対して核兵器を使いながら、どんなふうに政府間会議のメンバーで居られるというのか」と、その35分 間の演説で攻撃を加えた。同時に彼は、ワシントンが「イラク戦争の間に劣化ウランを使った兵器」を使用したことを非難した。正論だよね。だけど、日本では 報道されないんですよね。日本には報道の自由がないのです。アメリカ寄りの報道だけが、許されるのです。
http://www.asyura2.com/10/warb4/msg/355.html
http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009070501000456.html
http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/nagasaki/20100228-OYS1T00396.htm


 選挙に勝つまでは、「アメリカと対等に」と豪語していたあの鳩山さんだって、いざとなると、「アメリカがダメだと言ってるんだよ」と福嶋に愚痴っていたとか。
 戦後の広島、長崎の原爆被害者の調査も、「アメリカの心象をよくするために」という理由で、直ちに英訳して、あの細菌部隊である731部隊の資 料とともに、アメリカに提供されました。その直前まで、「鬼畜米英」と言って、徹底抗戦し、一億玉砕する方針だったはずなのに、なんたる卑劣な身代わりを するのか。こんな恥ずかしい国は他にない。
 結局被爆者のデータは、被爆者救援のためには使われなかったのです。被爆者はモルモット呼ばわりされて、爾後病苦の上に、差別がのしかかり、凄 惨な戦後を迎えることになります。戦争被害者を差別の対象にするなんて、なんて恥ずかしい国・・。アメリカは広島の原爆被害の調査結果をもとに、ソ連の主 な都市を攻撃するには、何発の原爆が必要か、という戦略に役立てたのだそうです。

 吉永小百合さんも、戦争の悲惨さを訴えるだけでなく、もう少し突っ込んで、真に平和を求める姿勢に立ってく れるといいのですがと、毎年思います。何だか「高いところからの哀れみ」みたいな気がしてなりません。
 広島や沖縄をみるときに、「こちら側からあちら側を」みる姿勢が、そもそも戦争に突入していったときの軍国主義者たちの視線と変わらないように思えて、ゾッとします。戦地で目にした朝鮮人や中国人の被害者たちを、兵士たちは「あちら側」のものとして哀れんだことでしょう。

 平和とか反核とか、きれいごとや、みんなで惨めさを共有することでは実現しないです。現実に核兵器を使った国の責任を追及して、さらに、ブッシュのように、戦争で儲ける死の商人たちに奉仕する政権が存在する限り、戦争はなくなりません。ベトナムで、イラクで、アフガンで、同じ惨めさで金儲けし続けている奴らが、いるのです。そこにメスを入れないで、ただ、自分の傷を見つめているだけでは、何も変わらないということです。

 アメリカは今、北朝鮮を威嚇するために黄海での演習を企てています。これに中国が神経質になるのは当然です。そもそも、あの魚雷事件も、ロシア の調査団は北朝鮮の仕業だという証拠を見つけることができなかったと言っています。中国も同様です。アメリカと韓国だけが、北朝鮮の仕業だと言いつづけ て、国連での制裁を提案してきました。日本はその事件について、何の独自の調査もせずに、ただアメリカの尻馬に乗っています。韓国の軍部内でも、あれはア メリカがやったのではないかとの疑惑が払拭されていません。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/05/1005j0521-00001.htm

 広島、長崎、沖縄は、今も、全世界に平和への真の道筋を訴えかけています。冷静に、客観的に、その声に耳を傾ける静かな理性が、世界の声になることを祈ってやみません。
 目を覚ませ、日本人。広島も、長崎も、沖縄も同じ日本の問題じゃあないのか。

http://news.ameba.jp/eigacom/2010/01/54356.html

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Aug 3, 2010

熱中症・夏負け対策 - 超おいしい - カレー・レシピ

 今年は本当に暑い。すでに熱中症疑いの救急が2万人で、死亡が98人だとか。ワンパターンながら、いろいろと予防対策がマスコミで喧伝されているので、 大抵の人はそれなりの対策を講じておられると思います。

 熱中症とは直接関係ありませんが、暑気にあたって食欲が減退することがあります。そんなときに最適なカレー・レシピをひとつご紹介しましょう。
 ヱスビー食品が、キーマカレーの元を出しておられます。必要な材料は、ひき肉と玉ねぎだけで、30分くらいで作れて、プロ並みの美味しさに仕上 がります。是非彼(彼女?)に作ってあげて下さい。
http://www.sbotodoke.com/product/detail/11629

 大体、簡単レシピを宣伝する雑誌やテレビのメニューも、実際やってみると、結構面倒くさかったり、うまくできないことが多くて、そのとき限りに なるのが常です。が、ご紹介したキーマカレーは、きっと定番メニューになるものと信じています。
 調理法は本当に簡単です。玉ねぎを刻んで、ひき肉と炒めるだけで、あとは2種のペーストで順番に煮込むだけです。一箱分作っておけば、単身なら 冷蔵庫で一週間は保存できます。

 そこで、私なりのこだわりですが、材料のひき肉と玉ねぎをケチらないことです。ひき肉は京都なら、三嶋亭のものを、玉ねぎも高島屋の地下で、丸 々と大きなものを選びます。三嶋亭のひき肉は、血色も匂いも秀逸で、いかにも美味しそう。高島屋で買った玉ねぎも、包丁を入れたときのあのみずみずしさと 透明感は、何ものにも代えがたい。ひき肉にしろ玉ねぎにしろ、別に特別高価な食材ではないのですから、ちょっといいものを使ってみてはいかがでしょうか。

 こだわりの第二段です。仕上げに、同じSBのカレー・パウダーを小さじに一杯程度加えて、さらに生姜を一欠けおろし込むと、もう無敵です。その まま食べても美味しくて、もちろんご飯にかけて食べても、お店で食べるものより美味しいこと、保障します。
http://www.j-medical.net/food/f-syouga.html

 流行は「夏野菜カレー」とか「ゴーヤ・カレー」とかですが、カレーを食べたいのだったら、カレー自体美味しければいいと思っています。繰り返 し、何度食べても美味しい、定番カレーを自分のために見つけることが大切です。お店は少しでも高く売るために、あの手この手で攻めてきます。お金を払って 食べるのは自分ですから、本当に自分の食べたいものを食べればいいのです。

 ただ, このルーはどこにでも売っていません。スーパーの成城石井には常備しているようですが、他のスーパーなどではあまり見かけないのが残念です。ネットでは買 えるようなので、それが簡単かもしれません。ヱスビー食品のHPへアクセスされるといいと思います。因みに、価格は一箱税込みで210円です。

http://www.47news.jp/topics/prwire/2010/07/168491.html

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Aug 2, 2010

脳梗塞とワーファリン

 私の家系は脳梗塞の家系で、とくに父方は全員この病気で亡くなっています。結構若い人も罹患して亡くなっています。だから自分もやがてはこの病気で死ぬのだろうなと常々考えています。
http://homepage3.nifty.com/mickeym/simin/41noukousoku.html
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/seikatu/nousottyu/index.html

 で、やっぱりというか、今までに3回その発作を経験したので、その3回目の発作のときの状況を書いてみます。経験者は怖がって、よく大げさに「臨死体験」とか言っていたりもしますが、この病気は単なる老化の一兆候で、おそらく気づかないうちに、小発作なら(隠れ脳梗塞:40代では4人に1人!)どなたも、それと知らず経験されているのだと思います。
http://www11.plala.or.jp/fujinami/Sub02/nou.html

 ある暑い夏の夜のこと(脳梗塞は夏の病気です)、台所で両手で何かを持ち上げようとしたときに、いきなり右腕がガクンと落ちました。右腕が突然肩からダラリとぶら下がった状態になって、自分では動かせなくなって、同時に感覚もなくなってしまったのです。(ショック!)片麻痺です。脚には異常がなくて歩行は可、どうやら上半身の発作です。右腕は左手で持ち上げないと、動きません。つねっても痛くない。これは火傷に気をつけないといけないな、と一瞬、妙に冷静に考えていました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/health/CK2010080302000080.html

 そして、パソコンを見ると、どうも視野もおかしい。一部見えていない領域があります。視野欠損を伴っています。何だか視野の右半分が怪しい。
 右腕の異常なので、左脳の血管が詰まったな、と考えると、次に心配なのはやはり言葉です。試しに「森のクマさん」を歌ってみました。やっぱり歌えません。言葉にならないのと、音階が怪しいではありませんか。構語障害です。これでは病院に電話もできないなあ、と心細い。「森のクマさん」だった理由はわかりませんが、多分、いつも帝王世界をしながら歌っている歌だからだと思います。
http://www.ne.jp/asahi/ueda/stroke/text2.html#text2-04

 外科医生命ここに尽きたか、と思いました。救急車を呼んだ方がいいかな(3時間以内に治療を開始しなければならない、といつも患者さんには言っています)、とも思いましたが、病院へ行って、もののわからない研修医どもに検査ばかりされるのも鬱陶しい限りなので、そのまま詰まった血管の再開通を待つことにしました。実際、症状からどの血管が詰まったのかは分かっていたので、自然に再開通するか否かが、当面最大の問題だと思ったのです。
http://www.ne.jp/asahi/ueda/stroke/text2.html#text2-04

 まあ、とりあえず、水分をしっかり摂って、お風呂に入って、血管を広げようと思い、不自由な右手を左手で介護しながら、お風呂の準備をしました。自分でも可笑しかったのは、ひげを剃るのに、右手がないと不自由です。左手を添えて、右手に剃刀を握らせての髭剃りです。鏡に写った自分の顔を見ると、どうも左右が対称でない!

 しばらくすると、少し歌えるようになってきたので、まず病院の同僚に電話して、「森のクマさん」を歌って聞かせました。それで何が起こっているのかは了解されて、とりあえず一週間の休暇をとる手続きを頼みます。あとは脳外科をいつ受診するかという問題です。言葉の回復からみて、おっつけ右腕も動くようになると、自己診断して、脳外へは翌朝行くことにしました。そうこうしている間にやっぱり右腕は復旧してきて動くようになり、感覚も戻ってきました。TIA(一過性脳虚血発作)と自己診断しました。
http://johostroke.suffas.com/

 翌朝脳外科を受診、症状と経過を説明して、MRIで脳血管の撮影をしてみると、予想通りの脳梗塞の所見です。医師は入院を強く勧めてくれたのですが、それはお断りして、外来と手術以外の仕事を続けながら、毎日点滴を受けることで了解していただきました。結局毎日通院して、患者さんに迷惑のかからないように仕事は続けることにしました。これについては後で院長からきつく苦情を言われることになります。
http://strokeshokuji.lukora.com/

 ところで、脳梗塞を発症すると、これは再発の多い病気ですから、今後のために血液をさらさらにする薬が処方されます。私の場合ワーファリンという薬を、1日3錠半、朝食後に服用するよう指示されました。ワーファリンは殺鼠剤で、ネズミが摂取すると網膜の血管から出血して視力が落ちて、腹腔内の大出血で死亡するのだそうです。怖い薬ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%83%B3

 ワーファリンは血を固まりにくくする薬ですから、これを服用していると、出血した場合に止血しにくくなります。普段から怪我をしないように、慎重の上にも慎重に用心しなければならないのと、何らかの原因で手術が必要になった場合に、その手術を拒否される場合があります。
 実際に私が経験している副作用には次のようなものがあります。

 何十年ぶりに鼻血を経験、それもなかなか止血しない。
 やたら皮膚が痒い。そして掻くと、血が滲んでくる。
 剃刀負けしやすい。
 スタバのガラス戸に、夜、戸があることに気がつかず顔をぶつけたとき、左
 の眼窩上を打ったのに、右の鼻腔から出血した。
 歩くときに足が上がりにくくて、平地でも足が地面を摺って転倒しかける。
 一度ハードロックカフェのごく微妙な滑り止めした(!)登り坂で、実際に
 激しく転倒しました。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~fine-beat/kusuri.htm

 最近の受診時の検査値をみて、先生が「あ、効き過ぎてる。薬減らしますね」と言って、1日3錠に減量になりました。お〜い!薬って怖いですねえ。

http://weltgeist.exblog.jp/10084584/

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