京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Jan 25, 2010

ルイス・バラガン邸を見に行く

 東京へ向かっている。新幹線で滋賀県に入ると、伊吹山の麓は銀世界です。冷え込みが強いという予報の割には、風もなくそう寒くない。静岡に入ると富士山がクッキリと望めて旅の気分が盛り上がる。
http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/4302893109/

 アオヤマにある「ワタリウム美術館」(03-3402-3001)で「ルイス・バラガンの邸をたずねる」
という展示を拝見しました。メキシコ・シティにある同邸(何と世界遺産に登録されています!)を、館内に再現したものですが、これを実現するに は、この「美術館」では無理と言わざるをえない、というのが率直な感想です。狭すぎます。それに、2、3、4階での展示ですが、2〜3階を除いて階段での 移動ができない。各階が狭い。エレベーターのみですが、エレベーターが狭くて、戸がすぐに閉じるので、何度も、何人もが戸に挟まれて、危険極まりない。一 階と地下は売店のみですが、これはつぶして、もっと本来の「美術館」の目的である、展示スペースを充実させるのが筋だと感じた。はるばる京都から見に行っ たのに、残念としか言いようのない展示会でした。
「ルイス・バラガンの家」(ワタリウム美術館編、新潮社:トンボの本)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%A9%E3%82%AC%E3%83%B3%E9%82%B8%E3%81%A8%E4%BB%95%E4%BA%8B%E5%A0%B4

 同美術館を見た後、日本で初めてのハンバーガーを作った六本木の「バーガー・イン」へ向かいました。以前六本木にあったお店はj閉鎖されて、現 在西麻布他3カ所に出店して営業していると、ネットに紹介されていたので、そのうちの西麻布のお店を訪れたのですが、何と、お店がありません。実によくあ ることですが、なくなったお店に関するHPは、早めに閉じてもらいたいものです。
http://e-food.jp/roppongi_blog/archives/2004/12/post_8.html

 しかたがないので、六本木駅へ引き返す途中の中華料理屋さんでランチ・タイムにする。「中国飯店」(03-3478-3828)というお店で、 表から見るよりは、中は広くて、メニューもしっかり中国料理屋さん。当然ながら、王将や街のラーメン店とは格が違う。「スペアリブと油揚げの煮込み」の サービス・ランチを選ぶ。なるほど骨付きの豚肉と、油揚げを醤油で煮込んであり、ちょい日本風?お味については、名前の通りの味だけど、やたら揚げが多く て、豚肉が骨ばかりで少ない。ご飯はお櫃で、お茶はポットでサービスされるので、店員を呼ぶ手間はまずない。それでも、店員がひっきりなしに客席をまわっ ているのは、中国風?最後に出される、杏仁豆腐は美味しかった。帰りに尋ねてみたところ、自家製ということで、さすがだなあと感心。

 前から一度行きたかった吉祥寺へ向かう。吉祥寺では北口方面を散策。残念ながら、時間の都合で南の「井の頭公園」へは行けず。
 吉祥寺は「カフェと雑貨の街」とも言われますが、なるほどそんな街でした。手元の本に紹介されていた「まめ蔵」という喫茶店(と紹介されていた のですが・・)で一休みしたのですが、その本の著者は褒めちぎる割りには、「別に」という感じのお店です。店内に入って、まず、狭い。それと皆カレーを食 べていて、カレー臭い。取り立てて美味しそうでもないカレーを、皆が食べている時間だったこともあり、また、多分狭いお店の換気が悪いせいもあるのでしょ う。あのギュウギュウに詰めた席の取り方は大阪風で、とても寛げる雰囲気ではない、というのが感想でした。オーダーを取りに来た店員が、ラッキョウを持っ て来たのは、笑えた。皆、カレーを食わなきゃ、ならねえのかよ。で、HPを見て気付いたのですが、このお店、実は「カレー屋」と書いてあります。カレー臭 いはずですよね。
http://www.kuu-kuu.com/mamezo/index.html

 それから同じ本に紹介されている、「まめ蔵」のすぐ近くにある「ピンナップス」という雑貨屋さんですが、著者は「日本一センスがいい雑貨屋」と 書いていて、「欧米の中古雑貨を並べてあって」と紹介されていますが、その実は、店内は中国製品の山です。これなら、何もわざわざ吉祥寺へ出向く意味はな い、と思ったお店です。店内で5分も時間を潰せない。

 引き続き、「自他ともに認める日本一のチャーハン」と紹介されている「南陽」というお店を探したのですが、これが見つからない。時の流れを感じ ますねえ。仕方なく、角店で目立つ「一圓」というラーメン屋さんで腹ごしらえ。ラーメン600円と、「プラチナ餃子」というこだわりメニューに挑戦しまし た。餃子は大きめで、5個で600円です。ラーメンは澄んだ出汁のあっさり系、餃子はしっかり皮のもっちり系です。京都人としては、京都の新福菜館のラー メンと、珉珉の餃子には敵わない、と思う。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1320/A132001/13005812/dtlrvwlst/276536/
http://www.shinpuku.net/
http://www.minminhonten.com/

 で、今回の吉祥寺歩きのタネ本は、「大人のための東京散歩案内」(三浦展、洋泉社新書Y 2002年刊)いい本だけど、ちょっと古いかな?

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Jan 20, 2010

海恋し

海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女(をとめ)となりし父母(ちちはは)の家

 大抵の方はご存知の、与謝野晶子の歌です。晶子の生家は私が卒業した、大阪府立三国ヶ丘高校から遠くなかったので、わざわざ見に行ったこともありました。駿河屋さんという羊羹が有名な和菓子屋さんでした。時代は違いますが、彼女の出身高校は今の泉陽高校で、私が高校生の頃は、近隣の三高校を、三国監獄、泉陽牧場、鳳地獄と言って揶揄していたものでした。三国ヶ丘は塀が立派だったから、泉陽は自由な雰囲気だったから(泉陽高校のセーラー服の女子が眩しかった)、鳳は受験指導が厳しかったから、というのがその呼び方の根拠だったと聞いていました。三国ヶ丘は大和川以南では、知られた進学校でしたが、女子は寝癖髪で登校してくるし、肩に頭垢が付いていたりして、興ざめでした。当時教室のお掃除は係の人がいて、生徒はしなくてよかったのですが、これは普通のことだったのでしょうか?それと、今でも覚えているのは、トイレが男女共用でした。男子が小用を足す横で、女子が個室の順番を待っている、のも日常の光景でした。

 堺から泉南にかけては、延々と松林の海水浴に適した砂浜が広がっていましたが、いつの間にかすっかり煙突が火を噴く臨海工業地帯と変わり果てて、府民の憩いの自然は失われてしまっていました。晶子が詠んだ「海恋し」の海は、当時の為政者(左藤義詮!)の過ちから、永遠に失われてしまったのです。

 私の生まれも高知県宿毛市の西端の海を望む漁師の家でした。宿毛出身の有名人には、間寛平さんがいます。遺伝子の影響か、私の叔父に寛平さんそっくりの者がいます。性格もお笑い系で、小さな町ですから、どこかで繋がっているのかも知れません。生家は大島という、宿毛から少し海に飛び出した島で、生家からほど近い浜からは、見事なダルマ夕陽が望めるので、写真ファンにはご存知の方もおられるかも知れません。

 祖父は当時としては新しい人間で、戦死した兵士について、「天皇が殺したがじゃ」、と言っていました。祖父はとても優しくて、決して私を叱ったりしませんでしたが、祖母はその反対にとても厳しくて、いつも怒鳴られていた記憶があります。私のせいで、家中の障子や襖は、いつもボロボロで、祖母が怒るのも、今思えば、いたしかたないことだと思います。障子を張るのは、祖母の仕事だったのですから。寛平似の叔父があるとき、祖父に「お前も苦労したけんど、金は残せんかったのう」とからかったことがあって、その時の祖父の応答が秀逸で、忘れられません。「何言うちまりよりゃ、ワシは10人の子を残したがじゃけん、一人1千万としても10人で1億ぞ」と。当時の1億円は気の遠くなる額でした。何を大切と思っているか、に、その人の価値観があらわれます。あなたの彼氏は、いざという時に、身を張ってあなたを守ってくれますか?

 生活はのんびりとしていて、昼ごはんといえば、祖母は前の海でイサキを釣ってきて、刺身をつくってくれたりしていたものでした。当時は海もきれいで、魚は美味しかった。牛や豚が食卓に上ることは、まずなくて、生きた魚か、蒲鉾やじゃこ天や、ちりめんじゃこや、いりこやといった、海産物ばかり。それから、海は養殖の時代になり、真珠やハマチや鯛やと、一時景気はよくなったもののそれもバブルのあぶく銭で、やがては海は養殖魚の餌や薬品で汚れてしまって、養殖の時代も終わります。あの澄んだ海は死んだのです。人間はなんと愚かなのかと、つくづく思い知らされます。

 その祖母が、私が大学に入学したとき、お祝いにと、茶のハトロン封筒で、裸の5000円札を送ってきました。5000円という金額は、当時お世辞にもお祝いとしては大金ではなかったのですが、年寄りのわずかの小遣いの中から工面して送ってくれたのだと思うと、あの厳しかった幼年時代の想い出が重なって、無性に泣けてしかたがありませんでした。自分には、その5000円の値打ちさえない、と真剣に思ったものです。因にどうでもいいことですが、祖母は丙午(ひのえうま)年の生まれでした。

 海恋し、です。

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Jan 16, 2010

日本人には愛も恋もない?

 1月15日は小正月、赤豆粥(せきとうしゅく)、つまり小豆粥をいただく日になっています。この日、お正月を祝った門松や司命索(しめなわ)を燎く、散 鬼杖(さぎちょう)とか、焞土(どんど)とか呼ばれる祭事(?)が行われます。それぞれ「左義長」とか「どんど焼き」という名で、まだ生き残っている地方 も多いと思います。

 話は変わって、阿久悠さんが存命中、同業界の人から、「日本にはどうして「愛の讃歌」のような歌ができないのだろうか」ときかれた時、「日本には、本来愛というものがないから」と答えたそうです。

 彼は、「日本には、恋も愛もないのではないかと考えている。あるのは、男と女の縁であったり、絆であったりで、恋というものとは、また違う気がする」と言っています。(阿久悠「作詞入門」岩波現代文庫)

 そういえば、近年、自殺する人が増えていて、問題になっていますが、恋に身を焼いて・・というケースはあまり耳にしません。日本の若者は、恋を していないのです。恋は盲目といいます。そして、恋をすることによって、人は夢に生き、大きくなってゆくはずなのですが、「女が欲しい」とか、「男が欲し い」のレベルに留まってしまっていて、別れたら、また次がある、と最初から割り切っているのが現実のようです。

 日本の女は、外国人の男性からみて、「独占欲が強くて、嫉妬心が強い」のが鼻もちならないそうですが、確かに、一緒にお茶を飲んだくらいでも、 すぐに「彼女いるの?」とか聞いてきます。そして、「いる」と答えると急にトーンが落ちていくのが目に見えるのが浅ましい。独占しようとしている!のです かね。男を見つけて、自分の寂しさを解消して、その状態を守っていく、あわよくば自分は働かないで、相手に寄りかかって生きよう、という保身に尽きるの が、あんたの本音かよ、と言いたくなる。これでは愛にも、況や恋にもならないでしょう。

 阿久悠さんはまた、日本にはブリジット・バルドーやカトリーヌ・ドヌーブのような生き方をする女性がいないことを嘆いています。若い時は見かけ のよさそうな(実際はそれほどでもないのに)男と適当に遊んで、年頃になって友達が結婚し始めると、とたんに目を血走らせて、公務員を捜しはじめたり、し ていて、何とも恥ずかしいやら、見苦しいやら。愛に生きるはずじゃあなかったのかよ? 恋をするつもりじゃなかったのかよ? よーよー! 女だけの問題 じゃあ、ないけどね。
 
 自分の気持ちを信じて、何も望まない、なんて、「愛」は憧れの中にさえ存在しないのが、日本人なのでしょうか。せっかく男に、か、女に生まれた のなら、一度くらいは、すべてを賭けて悔いない恋に、身をやつしてみたいと、誰も思わないのかなあ。その後、一生独身でもいいじゃないですかねえ。
 「ロメオとジュリエット」ってすごい話だよね。宿命に逆らい、命を賭けても恋に生きるって、21世紀になってもまだ、できないことなんだね。 シェークスピアはすごい。近松もすごい。若いのに、ユニクロで990円のヒートテックを鷲づかみして満足してる場合じゃあないと、思うんだけどね。

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Jan 5, 2010

占い

最近読んだ本でみつけたうらないです。全くのうけうりです。原文のまま引用します。

 「あなたは転校生です。転校一日目、先生に連れられて新しいクラスにいきました。さて、目の前にいるクラスメイトは全員、あなたが知っているアニメのキャラクターです(異性を想定、つまりあなたが女だったらクラスメイトは全員男)。
 その中で、一番最初にあなたに話しかけてくるのはだれ?
 なんといって話しかけてきた?
 それを聞いたあなたはどう思った?」
(角田光代「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。」、角川文庫 p.230)

 これが問いです。そしてこの質問の解釈は、その、最初に話しかけてきたキャラクターが、一番合う異性タイプだということだそうです。そして、話しかけられたときの気持ちイコール、彼・彼女といて自分が感じることだ、ということです。

 因に本の著者である角田光代さんは、「アルプスの少女ハイジ」のペーターと答えています。私自身は「ルパン三世」の峰不二子という答えでした。そして、このうらないが、何故かとても気になっていたものとみえて、昨夜の夢に出てきました。といっても、夢に峰不二子が登場したわけではなくて、手術中に、介助の女性の看護士さんに、このうらないを紹介しているというものです。結構大きな手術だったのですが、前夜救急医療の番組をテレビでみていたためにそんな場面になったものと思われます。

 夢とはいえ、手術中にそんな話をするなんて、不謹慎だと思われるかも知れませんが、実は私の場合、実際にはよくあることです。以前、局所麻酔で帝王切開手術の執刀中に、やはり介助の看護士さんに、こんなクイズを出したことがあありました。
 「胎児が育つのに十月十日かかるというけれど、じゃあ少女が女になるには?」
 という問いでした。それが、面白かったのは、全身麻酔でなかったので、手術を受けた患者さんが、それを聞いていました。そして、退院前に、「先生、ずっと気になっているんですが、先生が手術中に看護士さんにお話していたクイズの答えはなんですか?」と尋ねられて、笑ったことがありました。

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