京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Nov 30, 2010

産婦人科:内診は何をしているのか?

産婦人科を受診する際に、内診台に上がって診察されるのを異常に怖がる人がいます。特に初めての時には、やはり緊張するしそら恐ろしいかも知れません。産婦人科の内診と言えば、何やら色眼鏡でみられることが多いのですが、診察する方も結構緊張ものです。日本人はとくに偏見がきついのか、「何故産婦人科を選んだのか」とよく訊かれます。「何故内科を選んだのか」とは多分訊かないと思います。

 さて、実際に内診というやつですが、一体何をしているのでしょうか?
 まず視診です。毛深い場合ホルモンの異常がある場合があります。同時に不妊症があるかも知れません。クリトリスが極端に大きい場合もそうです。周辺が赤くかぶれていて痒みがある場合はカンジダ症かも知れません。皮膚の一部が限局して白くなっている場合(外陰白斑症)は、外陰癌の場合があります。肛門周囲や膣の入口、ひどい場合は子宮頚部まで、小さいイボ状の突起が多発している場合には尖形コンジローマという病気です。これは型は違いますが子宮頸癌を引き起こすパピローマ・ウィルスの一種の仕業です。
 クスコ(膣鏡)という器械を使用して膣内、子宮膣部を視診します。まず異常なおりもの(帯下といいます)がないか、子宮膣部に目で見てわかる癌ができていないかを診ます。カンジダ膣炎では特有のもろもろの白い帯下があります。また水様の帯下が持続している場合は卵管癌や子宮頚部腺癌という癌を疑います。膣の真ん中に縦に膜様の組織がある場合は、これを膣中核といって、双角子宮かも知れません。子宮膣部は子供を生んだことのある女性と、生んだことのない女性では外見が異なります。閉経前後の不正出血がある場合、子宮体癌を念頭において診察します。

 膣内に二本指を挿入して、もう一方の手のひらを腹部にあてて、子宮と卵巣を診察します。まず子宮ですが、大きさ、向き(体の前方に傾斜するのが通常です)、他の臓器との癒着の有無、押さえたときの疼痛の有無などで、子宮筋腫や子宮内膜症がないかを診ます。次に両方の卵巣を触診します。正常の大きさは親指頭大ですから、これが大きくなっていないかどうか、大きくなっていたら柔らかいか硬いか、それが周囲と癒着していないかどうか、などを確かめて、卵巣嚢腫や卵巣癌を疑う所見がないかどうかを確かめます。

 さらに最近では超音波検査を必ず実施します。子宮の大きさや向き(子宮後屈の場合子宮内膜症の場合があります)、子宮にできている腫瘤の大きさや数を確認します。子宮内膜が厚くなっていれば、子宮体癌を疑ってさらに検査が必要です。子宮の中に赤ちゃんが見えることもあります。卵巣の大きさを再度確認します。多少大きくても異常のないこともあります。卵巣や卵管のあたりに水の貯まった袋のようなものができている場合があります。水でなくて内部が血液である場合もあります。また、水のような内容液以外に、腫瘍組織のようなものがが見える場合があります。子宮卵巣以外に腹水の貯留を認めることがあり、卵巣癌や消化器系の癌を疑うこともあります。

 患者さんの中には恥ずかしくて、痛いめにあったような、被害妄想を抱かれることもあるようですが、医師は診療義務があって診ています。こちらの立場を理解できる大人になっていただきたい。

 以前ある女子高生が産婦人科を受診した際、超音波検査で、プローべという棒状の器械を肛門から入れられて、とても痛かったと苦情を聞いたことがあります。その女子高生は大変憤慨していましたが、それは、産婦人科医が彼女が処女であると診断して、プローべを膣ではなくて、肛門に挿入する方式で診察したのだと教えてあげました。
 医師はまじめに、するべきことをしています。最低上に挙げたことをしているのですから、「先生は診察して興奮することありますか?」なんて下司な質問は、お控え願いたいものです。

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Nov 15, 2010

尖閣諸島は中国領、千島列島はもと日本領

 釣魚諸島(尖閣諸島)問題と、千島列島の領有権についてマスコミや政界が喧しい。領土問題は私たちにはわかりにくく、ついムードで身贔屓のキャンペーンに流されてしまいそうです。

 詳しくはわからないのですが、尖閣諸島はやっぱり中国領でしょう。尖閣諸島という名称自体、古来の日本の命名ではないようだし、文献も林子平の『海国兵談』(1891)しかないみたいです。一方中国側から言えば、釣魚諸島は明の時代にすでに中国領とされており、和冦(14世紀~)に対する沿海防衛区域としてもその中に含まれていたといいますからいけません。わが国で18世紀にやっと文献に、それも英国の文献の訳語として登場する尖閣諸島を、中国はすでに14世紀から釣魚諸島と呼んで、防衛域内に含めています。
http://www.jrcl.net/frame040405n.html

 これに対して、千島列島は確かに日本領でした。
 ところが、第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和条約第二条C項で、次の規定があります。
「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」
 日本は千島列島の領土保有権も請求権までも放棄しています。バカみたい。自分から放棄しておいて、今更日本固有の領土だから返せ、と言われてもロシアは面白くないですよね。
 
 ところが第二次世界大戦中の1943年のカイロ宣言で、敗戦国日本の戦後処理について、米英中は「右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス」と宣言しています。つまり「領土拡張の意思はない」と明確に述べています。にもかかわらず、アンリかは沖縄を、またソ連は千島を占領してしまいました。この2国の行為はいずれもこの宣言に違反しています。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E5%AE%A3%E8%A8%80
http://homepage2.nifty.com/jomako/industrialism/works/sanfran.html

 日本はアメリカの沖縄占領については何一つ抗議さえできませんでした。それどころか、その施政権返還に際しても、時の佐藤売国内閣は、秘密協定で多額の金銭をアメリカに支払わされています。しかも、今なお沖縄はアメリカの半占領状態です。あまつさえ多額の「おもいやり予算」を今なお計上し続けているありさまです。
 他方千島については、わが国は北方領土と称して歯舞、色丹、国後、択捉の4島をわが国の固有の領土として、ロシアの占領を違法と断言しています。これはフランス語で書かれたサンフランシスコ講和条約の条文の、日本語訳(こちらは条約としての効力をもちません)の誤訳に乗じて語られるたわごとです。戦後の国会でも、いずれも日本に領有権のないことを政府が答弁しています。

 千島問題は厄介です。ロシアに領有の合法性はないものと考えられますが、わが国はすでに公に領土権も請求権も放棄したあとです。それだけでなく、沖縄を占領したアメリカには一言の抗議もなしに、未だに基地として広大な土地占有を認めています。ロシアが簡単に千島を返還するわけないですよね。

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Nov 8, 2010

美しい? 立ち読み小僧のエピソード

 11月3日の朝日新聞の天声人語に紹介されたお話です。その元になる本を持っていたので、原典からそのまま引用します。

 「十九世紀のヨーロッパでの話。ひとりの本の好きな少年が、いつも仕事の行き帰りに書店の前で立ち止まり。ショーウィンドーを眺めていた。そこには一冊の本が、巻頭の扉をみせて飾られてあった。読みたくてもその子には本を買うお金がなかった。ある日、ショーウィンドーをのぞくと、本のページが一枚めくられてあり、少年はその開かれたページを読んだ。翌日もまた、ページが一枚だけめくられてあり、少年はつづきを読み進んだ。そんなふうにして毎日めくられてゆく本を、少年は何か月もかかってすっかり読み終えることができた。
 毎日、さも読みたそうに本をのぞきにくるその子の姿を見て、その店の主人がさりげない心づかいを示してみせたのだった。」(鶴ヶ谷真一「月光に書を読む」平凡社、 pp81〜82)

 本を読む、というか、本に親しむことが少なくなった近頃では、「立ち読み」の情景も以前ほどは見かけなくなりました。以前は本屋の主と立ち読み小僧のイタチごっこは、町の本屋の定番でした。
 高校時代、自宅の数件先に小さな本屋さんがありました。当時としても流行らない本屋さんで、お客さんも滅多に見かけませんでした。そこのご主人が、面白いことを言われたことがあります。「うちでは立ち読みは歓迎です。自分が子供のころ、立ち読みをしてよく本屋の主に叱られてましたから、子供たちに立ち読みを許してあげたい」と。残念ながら本屋には厳しいご時世で、ある日その本屋さんも静かにお店をたたまれました。

 本屋さんと言えば、数年前京都河原町通りの「丸善」が閉店したのは痛かった。(河原町の落日の始まりです)本屋さんへ行くのは、ネットで本を探すのとは全く違う、暇つぶしというか、ちょと知的な自己満足を満たすレクレーションです。探しているわけでもなく、ふとある書に出会う衝撃は、旅先での出会いに似た予期せぬ喜びなのです。感動した書のうちには、著者にメールを送って友だちになったりもします。はるばる新幹線に乗って会いに行ったことさえあります。
 絶版になって手に入らない本を、街の個人書店でみつけてうれしかったこともある。新潮文庫の杉浦日向子著「もっとソバ屋で憩う」を見つけたのは東山三条を東に入ったところにある書店「アリス」さんでした。歩行の隙間もないくらいギッシリの書棚の中に見つけた時の喜びは、言葉になりません。

 最後に、先に引用した本から、もうひとつエピソードをご紹介します。
「泉鏡花は原稿執筆のおり、ふと忘れた字があって傍らの夫人に尋ねた。夫人が宙に指で書いてみせると、鏡花は<ああ、そうか>と言ってから、真顔で<早く消せ>と言ったそうである。尊い文字をそのまま書きっぱなしにしておいては、霊ある文字は後でどのような祟りをもたらすかもしれない・・・。鏡花は言葉に霊力を認め、言葉のほうでもそれに応えてみせたのだろう。」(同前、p32) 

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Nov 2, 2010

女をみたら・・

  6回目の妊娠ということで、外来にみえた患者さん。もう子供は要らないからと、中絶を考えているということでした。医者としてはお勧めしたくない選択肢 ですが、今後の夫婦の苦労を考えるとやむを得ないかとちょい憂鬱でした。ところが、診察してみると双胎(双子)です。患者さんの夫の一言に泣けた。「双子 やったら産め」と。二人産むと7人の子持ちになりますよと言っても、「5人も7人もいっしょや」と気風がいい。好きだなあ、こんな男。付き合っていて、妊 娠したと言っただけで顔を曇らせるケチな男に聞かせてやりたい。「双子やったら産め」と言われて、一番うれしかったのは、多分その妊婦さんだったと思う。 この男に添ってよかった、と心から思える幸せな瞬間だったのではないでしょうか。産科医冥利につきるひとときをありがとう、と胸に呟いた瞬間でした。

 「できちゃったみたい」と言って、男を試してみるのも、いいかもね。
http://ameblo.jp/kongairenai-world/entry-10007347842.html


 暮れに出産して7ヶ月の赤ちゃんに授乳しているお母さんが外来に来ました。お腹が張るという訴えです。どうせ便秘か何かだろうと、「それ産科 じゃなくて、消化器科がいいんじゃないの」と言いながら、せっかくみえたのだから、一応型どおりの診察をしてみると、なんと!妊娠でした。それももう5ヶ 月で、結構大きな胎児がいます。医者も患者もびっくり。気になったのですが、患者さんが「うれしい」と呟くのを聞いて、ホロリときた。「同時には無理だか ら、この子は堕ろす」と言われるのが心底怖かった。産科医の微妙な心の機微が、人知れず蠢く診察室の情景です。この気持ちは誰にもわからないい。

 47歳のご婦人が不正性器出血で来院されました。前医で子宮腫瘍と診断されています。MRI等一応の検査で、やはり子宮腫瘍で、悪性疾患かも知 れないと外来担当医に診断され、手術の予定になりました。ところが手術の日を待たず、大量出血があって私の外来にみえたのです。これは本当に癌かも知れな いと思って診察してみると、何と「胞状奇胎」でした。そもそもこの患者さんは妊娠していたです。年齢から、妊娠を疑わず検査をしていたため、妊娠に関係し た病気の診断に至らなかったのでした。最初に出血で受診したとき、これが20歳代の患者さんならば、その診断名に「流産」の可能性を考えて、妊娠検査をし たはずです。そのとき、胞状奇胎ならばその検査値が異常に高くなるので、それだけで正しい診断ができていたはずでした。どれだけ経験のある医師でも、妊娠 を見逃すことがあるのです。
http://www.byoki-syojyo.net/body/Woman-36.html

 「女をみたら妊娠を疑え」 これは産婦人科医の座右の銘です。

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