京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Apr 28, 2011

悲しすぎる、福島の惨状

 地震、津波に加えて、原発事故が続いて、その後の生活に光が見えてこない福島の現状には、まったく「一体どうしてここまで」という感想です。

 4月13日、菅総理が述べたといわれる文言に対して、避難民を代表して、飯舘村 菅野典雄村長は「これが国を操る人の言葉ですか。ふざけないでください」と涙ながらに怒りをぶつけた、と報道されました。
 でも、それって、変じゃあないかなと思いました。事故は東電の責任ですが、その東電の原発誘致を、原発反対の世論を無視して、受け入れて、沿岸に10基もの!原発を誘致してきたのは、村長、あんたの行政責任だろう? と言いたくなります。それも村民を安全、安全と騙し続けてきたその責任を棚上げして、被曝している土地へ早く村民を帰せと言ったって、それは危険じゃあないですか、と申し上げたい。
 
 今回の事故に関して、東北の人々の忍耐強さや統制のとれた行動に、海外からも惜しみない賛辞が寄せられているようです。誰もがそう感じていると思います。

 だから一層、今回の事故は悲しい。
 問題の福島の浜通りは、かつては絵に描いたような寒村で、産業もなく、男は出稼ぎに行って、中学生の集団就職も常態でした。かなしいことに、そんな村に原発を受け入れさせたのは、金の力でした。原発を受け入れることによって、とにかくも産業ができて、外から働く人々が入ってきます。加えて原発の固定資産税や交付金などで、数千億円もの金が流れ込みます。空前の景気に涌きたちます。麻薬のような陶酔です。何もなかった通りにはビルが建ち、お店ができて賑わっていきます。原発は村に必要なんだ、とあのなまくら野党だった社会党も賛成勢力に掌を反したといいます。反対勢力には暴力団も使って、有形・無形のいやがらせがあったであろうことは想像に難くありません。村でも中央でも、原発に賛成すれば金、女、酒の賄賂や接待漬けがあったであろうことも目に見えるようです。悲しい日本の政治と、日本の貧しい農村の姿です。福島はそうやって、東京に電気を送り続けたのです。石原知事は、原発に賛成というなら、それをまず東京湾に誘致する決断をすべきです。

 原発が減価償却して、固定資産税が激減すると、村は不景気を迎えます。加えて景気のよかったときに作った設備などの維持費が村の財政を圧迫します。すると、また新しい原発を誘致する愚を繰り返して、交付金で潤う道を辿ります。いつか来た道です。原発は麻薬なのです。そうこうしている村政の挙げ句の果てが今回の事故でした。飯舘村の菅野村長にそれを知らないとは言わせない。

 村民は、原発のおかげで潤って、東電に感謝していたはずです。だから、よくないかも知れないと思っていたにもかかわらず、原発を容認し続けた自分のこころの闇を、自分が誰よりも知っています。声高に東電を非難できないのです。今度こそ安全と言われれば、また受け入れて、昔の夢にすがって生きるかも知れません。これは沖縄の基地経済に似ています。よくないと思うけれども、それでも雇用があり、交付金など、経済的に潤うからという麻薬のような誘惑から逃れられないのです。その結果は、自分の娘たちが飢えた米兵の餌食になるという惨状です。自分の娘でなければいい、とか、沖縄のことならいい、といった無責任な心情が、いつまでたっても状況を改善しないのです。

 原発を受け入れている町のひとつ双葉町の井戸川克隆町長は共産党の志位和夫委員長と面談したとき、志位委員長が「これは人災です」と言ったとき、声をあげて泣いたそうです。井戸川町長は自分の責任を自覚していたのです。先に挙げた飯舘村の菅野村長とは大違いです。

 貧すれば窮すといいます。貧しくて、腹が減って、そんな生活からとにかく逃れたいという村民・町民を餌食にする悪魔のような東電や政治家や東大の学者たちは断じて許せない。事故後、放射能汚染が拡がる中で、大丈夫だの、ただちに健康に影響ないだのと、国民を騙し続けた東大の教授たちは悪魔以外の何者でもない。東電から金をもらって研究しているからといって、国民の健康に無関心であっていいなんて、お受験のお坊ちゃんたちは、どこで勉強してきたのか。
 村や町も、原発や、戦争のための基地やに安易に寄生する経済は、いつか破綻するものと腹をくくって、遠い道かもしれないけれども、自然に依拠した長続きのする健全な産業に依拠した生活をつくっていかないと、将来、子供たちに恥ずかしいことです。東電と東大に騙されたとはいえ、選択したのは、当時の大人たちです。

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Apr 20, 2011

ふと、そこにある存在感

 子供のころ、オリンパス・ペンが欲しかった。
http://www.olympus.co.jp/jp/corc/history/camera/pen.cfm#01

 写真が好きでした。当時は当然フィルムカメラの時代で、すでに一眼レフがマニアにもてはやされ、ニコンFはその頂点に君臨する名器でした。子供の私にとっては、そんな高級機よりも、小型でピリッと小気味のいいペンに心惹かれていました。値段も安かったのですが、買ってもらえなかったことが、今もトラウマになっています。
 で、最近マイクロ一眼として復活した オリンパス・ペン E-P1を買い求めました。小型でデザインは秀逸、レンズも伝統のズイコーレンズで申し分ありません。とくにデザインは「女子カメラ」を意識した、高級感あるれるもので、同様のカメラを発売しているパナソニック、ソニー、リコーなどのなかで群を抜いて垢抜けしています。
http://olympus-imaging.jp/product/dslr/ep1/

 悔しいことは同機発売後、次々と新型が発売されて、初代機は機能的にやや不満のある点です。現在は花の写真を撮ることが多いのですが、マクロでも不満はありません。
http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/5506641772/

 このカメラのいいところは、アダプターを買えば、ニコンやキャノンなど、他の会社の一眼レフ用レンズが使えることです。古いライカのレンズも使えます。
 好きなものの特徴は、その機能だけではありません。それを持っていることの満足感があることです。これは「Appleコンピューター」や「Nokia705NKという携帯電話機」などと共通しています。使う以前の満足感があるのです。

 さりげなく、気がつけばそこにそれがある、という満足感です。そんなことって、ありますよね。

 そう、人だって同じです。気がつけば、あなたがそこにいる、という感覚です。サービス業に従事する人にとっては特に大切なことですが、大きな声で話しかけてきたり、手前味噌の押しつけがましいトークだったり、大きなもの音を立てて仕事をしていたり、まあげんなりします。そのくせ、こちらが必要な時にはそこにいなくて、わざわざ呼び止めなければならなかったり、ものを言っても、ちんぷんかんぷんの応対をされたり。くつろげるお店の店員は、プライベートな質問はしてきません。いろいろ知られると、その店から足が遠のきます。「今夜はお一人ですか?」とか、ほっといてくれと言いたい。

 いつも一緒にいる人なら、なおのことです。さりげなく手を差しのべてくれて、本当に必要なときに、気がつけば、さりげなくそこにいてくれる。そんな気持ちを逆手にとられると、見せかけの優しさに弱い女は、ついボロをつかみます。

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Apr 19, 2011

こんな女に

 敗戦で引き上げてきた祖国は焼け野原で、何もなかった。看護婦だった彼女も、仕事を見つけることができず、結局生きるために米軍兵に身体を売って生きるしかなくなっていきます。思えば昨日まで「鬼畜米英」と呼び、敵が上陸してくれば婦女子は辱めを受けるから自害せよと教えられてきた時勢でした。急転、その米兵に体を売って生きるしか術のない境遇に至り、あまつさえ世間の蔑視を避けて生きなければならなくなった女たちの心情は、推し量ることすらできません。
 菊池章子の歌う「星の流れに」の「こんな女に誰がした」という歌詞が当時、人々の涙を絞りました。本当に飢えたことのない人には、ぎりぎりの人間の苦しみは分からない。震災後死体のポケットから金品を奪う盗人の姿が見られたと聞きます。人間は置かれた状況で、その本性が決まります。衣食住が足りていれば、皆そこそこいい人でいられるのです。本当に困ったときに、人の助けが欲しいときに、スッと逃げてしまう人もいます。友達じゃなかったの?って思いますよね。
http://www.youtube.com/watch?v=qWIPoIG2jJk&feature=related

 東日本大震災で、農業、漁業はもとより、サービス業で働く人々には生きるすべがありません。家も家族すらなくなってしまっているのですから。何もないところから、一体どうやって生活を立て直すのやら。やるせない話です。結局、「こんな女に」が繰り返されるのかも知れません。もともと東北は厳しい自然のため、かつては口減らしが横行したことは広く知られた事実です。震災、津波に輪をかけるような悲惨な東電の原発事故で、被災したどのひとりも、不本意な生活を強いられることのないようにと祈っています。
 ヒトはカップ麺と毛布と古着と、だけでは心の底からは笑えない。被災地の子供を差別する視線に耐えて生きようとする心が傷ましい。
 国も、自治体も、東電も、被災地の誰もが人間の尊厳を保持して生活できる条件を、保障することを責務とすることを、使命と思ってほしいと思います。これは国や、自治体や、東電やの問題ではなくて、日本という国の力を試す試練ですよね。「私たちの」問題です。

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Apr 1, 2011

東京湾に原発を

 朝日新聞4月1日夕刊、「素粒子」というこコラムの抜き書きです。

「今こそ東京に原発を。東京湾を埋め立てて計画中の12基全部引き受けよう。高速増殖炉や廃棄物処分場も一緒に。
 電力不足は一挙に解決し核燃料サイクル完成。二酸化炭素も削減できる。何よりも福島の人たちの苦労がわかる。
 割り切るならそれぐらいしては?そこを原子力村と名付けよう。今は東電の管内に東電の原発は一基もない。」

 東京には原発を推進した国会議員や、当の東電の経営陣が住んでいるし、金をもらって、彼らに協力した芸能人や東京大学の学者たちもいる。
 2001年にあった、福島第一原子力発電所誘致の是非を問う住民投票では、反対意見が圧倒的でした。住民は賢かったのです。そのことを覚えていた人のブログを読みました。
http://blogs.yahoo.co.jp/izumi194ito/23364158.html

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