京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Dec 23, 2008

英語の授業は英語で?

中国の輸出額は世界1位だそうです。貿易額も世界2位とかで、かたや日本では一流と言われる企業が従業員の首切りに血道をあげていて、国民の生活を守るの が使命のはずの政府は全く無策・無能、安心して年も越せない人がどれほどいるのやら。こんな国を経済大国とは呼んで欲しくない。中国の人と接して、また同 国を旅行して誰もが気付くことは、女性が働くことがあたりまえという意識です。日本では、農家や自営業を除けば、女性は結婚して「家庭に入る」のが普通の ことのように考えられています。生産に従事する人口の差は甚大で、今後も中国がその国力を増していくことは火を見るよりも明らかです。
 日本人の女性と結婚したアメリカ人の男性の感想です。「日本の女は、自分は働かないで、嫉妬心と猜疑心ばかりが強い。日曜も子供と一緒に過ご せと言って、まったく自由に生きられない。まるで地獄だ」と。ガイジンと付き合いたくて、英会話を習って、本国では落ちこぼれで、就職もできないし女もで きないアメリカ人にぶら下がって喜んでいる日本の女性をよく見かけます。
 英語を学ぶことは、今では世界を学ぶことです。言葉を通じて、異文化に接し、理解を深めることです。外国語の学習では、何よりも「読み・書 き」が重要で、今文部科学省の言っている、「英語の授業は英語で」、なんて、単なる形式論でまったく無意味としか言えません。言葉は、会話ができても、読 み・書きができなければ文盲です。アメリカでは乞食でも英語を話します。話せても、読めなければ、真に外国の文化に触れることはできません。大切なのは中 身です。アメリカ贔屓の日本の新聞や週刊誌やテレビの解説等を、自分の意見のように思っていては、国際社会では孤立します。並の英会話の能力だけでは、よ り深い国際的・人間的理解に到達するのは難しいのです。

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Dec 17, 2008

分娩難民の国

 今日はちょっと深刻な話です。日本という国の文化度が試される話題です。国民ひとりひとりの方が、真剣に理解して下さらないと、いつまでたっても問題は解決せず、実際困るのは自分自身だということです。
 妊婦さんがたらい回しされた挙げ句、生命を失う事例が続き、また、分娩の取り扱いを止める産科医が増加する昨今、妊娠中の異常、分娩の場所に困る場合が、大都会でも希ではなくなっています。
 産科に特有の問題の最大のものは、産科当直は産科医にしかできない、ということです。妊娠中の異常事態や分娩時の異常は、産科医しか診療できないということです。
 しかし産科単独の診療科を設ける施設は少なく、大抵は産婦人科として、産科・婦人科の両方の患者さんを取り扱います。似ているようですが、両者は全く別物で、産科は病気ではなくて、非保険診療で、婦人科は癌を含めた、主に手術症例を取り扱います。産婦人科の先生方は、産科・婦人科の両方の外来診療をして、手術をして、分娩の取り扱いもします。分娩を取り扱う施設では、必ず産婦人科医が当直で24時間勤務しています。当直であっても、外来、病棟の仕事、手術等はあります。
 当直の当番の日は、朝の9時から、翌朝9時までがその任なのですが、翌朝9時に仕事は終わりません。翌朝には次の日の勤務が待っていますから、たとえ前夜眠らずに働いた後でも、その体で外来や手術をこなさなければなりません。9時に始めて、翌朝の9時で24時間ですが、翌日の午後5時過ぎまでは定時の仕事です。ここまでで32時間です。ところが5時に仕事が終わることはまれです。さらに仕事が追ってきます。産科は緊急手術の多い科ですから、一晩に3件、4件の緊急手術をすることもあります。
 施設の産婦人科医が4人だったとしたら、平均4日に1回の当直勤務です。月に7〜8回の計算になりますが、月に7〜8回は2日間の連続勤務ということです。月の半分ですね。医師の数が少なければ、もっと増えます。4人でも誰かが休暇などで休めば、それが残った医師の負担になります。もし、女医さんがいて、産休や育児休暇をとったら、3人で4人分の仕事をします。
 当直の夜間、問題のコンビニ受診がたびたびあります。明日でもよいのに連絡もなく、いきなり病院に来たり、電話で明日でいいと言っても、どうしても今夜診て欲しいと言われることもしばしばです。夜の2時と4時にそんな外来を診たら、もう睡眠不足です。おまけに、夜間には分娩がありますから、そのたびに起こされています。コンビニ受診をされる患者さんに限って、来なくていいと言ったら、何故診ないのか、とすごみます。親戚の看護士とかが付いてきて、こってりと苦情を並べることもしばしばです。夜中の3時に腹痛を訴えて来て、便秘の診断で浣腸したら、ああすっとしたわ、とか言って帰っていく人もいます。帰る前に、大腸癌かもしれないから検査してもらえるか、なんてとんでもないことを言う人もいます。
 産科医がお産の取り扱いを止める気持ち、少しは解っていただけるでしょうか? 若い医師が、産科を避けたくなる理由が、わかっていただけるでしょうか? 
 困っている患者がいるのに、何故診ないのか、何故たらい回しになるのか、実は問題の根は深いのです。今や、医師ひとりひとりの善意だけでは解決しないところにきています。当直の翌日を休暇にするようにと、私は常々言っているのですが、実現しません。産科医の給料を上げろというのですが、これも実現しません。医者がおかしいと言っている今の総理大臣のもとでは、産科難民はなくならないでしょうね。

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Dec 11, 2008

雑誌を拾い読み

 TRANSIT 発刊第3号より

「河口にあるマラジョー島は、形態として川中島になるらしいが、大きさは九州より上まわる。だからその川中島には筑後川より大きな河が流れてい る。河に対する日本的な考え方を変えなければここを旅することはできない。河口の街、ベレンから飛行機、船を駆使して奥アマゾンに向かったが、トバ口のベ レンの市場で、この河の実力の一環に早くも触れてしまった。
 でっかいナマズが荷揚げされていたのだ。フィリョッチョという。長さ2.5m。重さ200kg。それが30匹ぐらいだった。荷運びの人は長い 人生、こういうでっかくて重い魚を頭にのせていたらしく、足が「く」の字形に曲がってしまっていた。こんなのがどかどか運び込まれる市場はまたスケールの 格がが違っていて、市場の人々はサンバのリズムでみんな踊っている。魚を盗んだ犬に斧が投げられ、捕まえたばかりの威勢のいい巨大な泥蟹が集団で逃げ出し ている。叫び声がするところは痴話喧嘩で、包丁をもった女に男が追いまわされている。日常風景が基本的にけたたましい。」(椎名誠「地球の河」ブラジル・ アマゾン河:TRANSIT、p11)

 私たちは世界を知りません。私たちは、また、自分自身を知りません。私たちの知識や判断は、自分の狭い経験、親や身近の人たちとの会話、テレビ や新聞といったマスコミに頼って成り立っています。ものを知ったように思っています。そのマスコミは、実は大きな力で、操作されていたとしたら。そうやっ て、あれらの悲劇が世界に起こったのではなかったでしょうか。