京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Apr 27, 2006

性教育 sex education


 The start point of sex edudcation, I believe, is to recognize the same right of man and woman.
 性教育について論じられることがしばしばです。その内容を聞いて、いつも疑問に思っています。性を論じる爽やかな論客の登場はまだ先の話でしょうか。性教育とは、男女のセックスや、性器について人形や、可愛いイラストをつかって青少年に講義することでしょうか。また、教えようとする先生は、実際にはどうやって性について学んだのでしょうか。
 まだまだギャップが大きすぎるような気がしてなりません。性教育の根本は、男女の同権にあると、私は信じています。生きること、愛すること、そんな何故か学校では教えられない大きな問題であると私は思っています。

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Apr 26, 2006

おひし(再録)

 Ohishi is a the lozenge cake served for the girls festival in March. It also means the female part of women's body due to its similarity in shape. 

 おひしというのは、平安時代の女房言葉で、菱餅のことです。この言葉はまた、女性生殖器を現す言葉でもありましたが、現在では死語となっています。
 男性生殖器を現す言葉は、必ずしも淫猥なひびきをもたず、子育て段階からおおっぴらに使われますが、女性生殖器を現す言葉は、特殊な言葉だと思われています。それは男性の性的興味と緊密に結びついたひびきを持つため、女性の間では使うことが憚られるためのようです。
 女性生殖器の呼称が隠語とされるに至った原因には、それが男性の性欲の対象であったため、ということと、もうひとつ、重要な問題があります。それは、女性が成人する過程で、初潮を迎えると、それ以後、定期的に出血するという事情があったからだと思われます。我が国では古くから、血液を穢れのひとつと考えていたため、定期的に出血する女性そのものを穢れた存在と考える傾向があり、今でも、一部の世界に女人禁制という制度が残っています。分娩もまた、穢れたものとされ、お産は常の住居とは別の、そのために造られた産屋で行い、その際、食物も別の火を使って煮炊きされていました。
 女性そのものと合わせて、女性生殖器までが、暗闇におかれてきたのです。おひしという表現は、おそらく女性が使った言葉だと思います。そこには何ら差別的意識はなく、手や足や、鼻や口と同じ、体の一部を呼ぶ呼称としてすぐれていると思います。
 性行為が次の世代を産むための重要な行為であり、、女性の月経がそれに関係した生理現象であることだと認識されて、女性生殖器を現す呼称が、復活するのは、いつのことでしょうか?

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Apr 18, 2006

手(再録)


 ある若い女性に、永遠とは何だと思いますか? と、尋ねたことがあります。彼女の答は、この世のものはすべて移ろいゆくものだから、永遠とよべるものはない、ということでした。
 1999年、あるアメリカの病院で、妊娠21週の二分脊椎の胎児に対する子宮内手術が行われました。その最中、子宮の切開創から胎児の手が伸びて、執刀医の指を握ったのを介助していた看護師が見ていました。写真はその時の様子を捉えたものです(http://www.pagerealm.com/handhope/)。その時の、胎児の手の感触は、その医師にとっては、永遠に忘れ得ぬものだったに違いありません。この胎児は、無事手術を終え、その後妊娠36週で出生しています。
 永遠とは必ずしも時間の長さで測られるものではなくて、時には、一瞬の出来事が私たちの心に永遠の火を点すことがあることを、この事実は物語っています。
 妊娠21週と言えば、胎児の異常を理由に、人工妊娠中絶を受ける場合もある時期です。生命というものを考える上で、この写真は、何か重大なメッセージを、私たちに送り続けています。

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柳の花(再録)


 今年も桜のシーズンは終わりました。寒さのせいで花期が長かったこともあり、四月中旬は諸花咲き乱れて、春爛漫です。
 桜に同期して、柳の新緑が目に眩く、可憐な花を開いています。柳に風と喩えられる通りの、しなやかな枝々に、ひっそりと開花しています。江戸の吉原をはじめ、花街には桜と柳が交互に植わり、よって花柳界という呼称の源になっています。ただ、柳の方は、桜に比して注目度は、グッと下がるようです。
 目立たないが美しい。柳のようになりたいとは申しませんが、そんな花の存在を見落とさない心を持っていたいと思います。

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花筏


 京の街の散策で、日本を含め、他の都市を巡るそれとの違いは、美しい川に接することができることです。鴨川など、他の大都市の川と違って中流に位置しているため、流れは速く、水は澄んでいます。水鳥はすぐ目の前で羽を休め、流れには淡水魚が透見されます。流れゆくせせらぎの音と、清浄な水の匂いが、私たちの心のもっとも深いところに、言葉に尽くせない真実を語りかけてきます。
 今年の桜もその季節を終え、その水面に身を横たえます。私たちはこれを、花筏と呼んで、短かった季節に別れを告げるのです。

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散り椿


 桜と並んで、日本人に深く愛されている花に椿があります。散り方が不吉だからと、嫌う人もいるようですが、いや、潔くてよろしい、と、むしろそれを支持する人もいるようです。左京区に私的な椿園があって、時々お邪魔して、ご案内願うのですが、なかなか通の世界は深いようです。
 やはりツバキ科の花に沙羅双樹があります。平家物語のおかげですっかり有名で、近年は「沙羅双樹を見る会」と称して、お金をとる手段にしている場合もあるようですが、興ざめです。同じく、「東(ひんがし)の野にかぎろひの・・・、」と人麻呂が詠んだおかげで、奈良の鄙びた山間の地が、毎年ある時期には、「かぎろひを見る会」と称して結構賑わうそうです。まことに興ざめです。
 季節の移ろいに心動かし、花を愛でる、優れて個性的のことであれば、人まねでない、自分らしさを大切にしたい、と切に思います

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雪月花 Cherry blossom at night


 Fantastic night view of the cherry tree at Maruyama park, Gion. (Click on the title to see that of Kiiyomizu temple.)

 今年も桜の季節。毎年楽しませていただく円山公園の夜桜です。今年は枝を剪定したのか、やや貧弱だったので、去年の写真を掲載します。「花のもとにて 春死なむ」と言った御仁がいたかと思うと、「今宵逢う人みな美しき」と満開の花に託して青春を謳歌した若き歌人もいました。同じ桜に寄せる想いも、人それぞれです。日本的自然感の極とも言いたい、雪月花、ですが、この三者を同時に楽しめることは希です。

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