悲しすぎる、福島の惨状
地震、津波に加えて、原発事故が続いて、その後の生活に光が見えてこない福島の現状には、まったく「一体どうしてここまで」という感想です。
4月13日、菅総理が述べたといわれる文言に対して、避難民を代表して、飯舘村 菅野典雄村長は「これが国を操る人の言葉ですか。ふざけないでください」と涙ながらに怒りをぶつけた、と報道されました。
でも、それって、変じゃあないかなと思いました。事故は東電の責任ですが、その東電の原発誘致を、原発反対の世論を無視して、受け入れて、沿岸に10基もの!原発を誘致してきたのは、村長、あんたの行政責任だろう? と言いたくなります。それも村民を安全、安全と騙し続けてきたその責任を棚上げして、被曝している土地へ早く村民を帰せと言ったって、それは危険じゃあないですか、と申し上げたい。
今回の事故に関して、東北の人々の忍耐強さや統制のとれた行動に、海外からも惜しみない賛辞が寄せられているようです。誰もがそう感じていると思います。
だから一層、今回の事故は悲しい。
問題の福島の浜通りは、かつては絵に描いたような寒村で、産業もなく、男は出稼ぎに行って、中学生の集団就職も常態でした。かなしいことに、そんな村に原発を受け入れさせたのは、金の力でした。原発を受け入れることによって、とにかくも産業ができて、外から働く人々が入ってきます。加えて原発の固定資産税や交付金などで、数千億円もの金が流れ込みます。空前の景気に涌きたちます。麻薬のような陶酔です。何もなかった通りにはビルが建ち、お店ができて賑わっていきます。原発は村に必要なんだ、とあのなまくら野党だった社会党も賛成勢力に掌を反したといいます。反対勢力には暴力団も使って、有形・無形のいやがらせがあったであろうことは想像に難くありません。村でも中央でも、原発に賛成すれば金、女、酒の賄賂や接待漬けがあったであろうことも目に見えるようです。悲しい日本の政治と、日本の貧しい農村の姿です。福島はそうやって、東京に電気を送り続けたのです。石原知事は、原発に賛成というなら、それをまず東京湾に誘致する決断をすべきです。
原発が減価償却して、固定資産税が激減すると、村は不景気を迎えます。加えて景気のよかったときに作った設備などの維持費が村の財政を圧迫します。すると、また新しい原発を誘致する愚を繰り返して、交付金で潤う道を辿ります。いつか来た道です。原発は麻薬なのです。そうこうしている村政の挙げ句の果てが今回の事故でした。飯舘村の菅野村長にそれを知らないとは言わせない。
村民は、原発のおかげで潤って、東電に感謝していたはずです。だから、よくないかも知れないと思っていたにもかかわらず、原発を容認し続けた自分のこころの闇を、自分が誰よりも知っています。声高に東電を非難できないのです。今度こそ安全と言われれば、また受け入れて、昔の夢にすがって生きるかも知れません。これは沖縄の基地経済に似ています。よくないと思うけれども、それでも雇用があり、交付金など、経済的に潤うからという麻薬のような誘惑から逃れられないのです。その結果は、自分の娘たちが飢えた米兵の餌食になるという惨状です。自分の娘でなければいい、とか、沖縄のことならいい、といった無責任な心情が、いつまでたっても状況を改善しないのです。
原発を受け入れている町のひとつ双葉町の井戸川克隆町長は共産党の志位和夫委員長と面談したとき、志位委員長が「これは人災です」と言ったとき、声をあげて泣いたそうです。井戸川町長は自分の責任を自覚していたのです。先に挙げた飯舘村の菅野村長とは大違いです。
貧すれば窮すといいます。貧しくて、腹が減って、そんな生活からとにかく逃れたいという村民・町民を餌食にする悪魔のような東電や政治家や東大の学者たちは断じて許せない。事故後、放射能汚染が拡がる中で、大丈夫だの、ただちに健康に影響ないだのと、国民を騙し続けた東大の教授たちは悪魔以外の何者でもない。東電から金をもらって研究しているからといって、国民の健康に無関心であっていいなんて、お受験のお坊ちゃんたちは、どこで勉強してきたのか。
村や町も、原発や、戦争のための基地やに安易に寄生する経済は、いつか破綻するものと腹をくくって、遠い道かもしれないけれども、自然に依拠した長続きのする健全な産業に依拠した生活をつくっていかないと、将来、子供たちに恥ずかしいことです。東電と東大に騙されたとはいえ、選択したのは、当時の大人たちです。
4月13日、菅総理が述べたといわれる文言に対して、避難民を代表して、飯舘村 菅野典雄村長は「これが国を操る人の言葉ですか。ふざけないでください」と涙ながらに怒りをぶつけた、と報道されました。
でも、それって、変じゃあないかなと思いました。事故は東電の責任ですが、その東電の原発誘致を、原発反対の世論を無視して、受け入れて、沿岸に10基もの!原発を誘致してきたのは、村長、あんたの行政責任だろう? と言いたくなります。それも村民を安全、安全と騙し続けてきたその責任を棚上げして、被曝している土地へ早く村民を帰せと言ったって、それは危険じゃあないですか、と申し上げたい。
今回の事故に関して、東北の人々の忍耐強さや統制のとれた行動に、海外からも惜しみない賛辞が寄せられているようです。誰もがそう感じていると思います。
だから一層、今回の事故は悲しい。
問題の福島の浜通りは、かつては絵に描いたような寒村で、産業もなく、男は出稼ぎに行って、中学生の集団就職も常態でした。かなしいことに、そんな村に原発を受け入れさせたのは、金の力でした。原発を受け入れることによって、とにかくも産業ができて、外から働く人々が入ってきます。加えて原発の固定資産税や交付金などで、数千億円もの金が流れ込みます。空前の景気に涌きたちます。麻薬のような陶酔です。何もなかった通りにはビルが建ち、お店ができて賑わっていきます。原発は村に必要なんだ、とあのなまくら野党だった社会党も賛成勢力に掌を反したといいます。反対勢力には暴力団も使って、有形・無形のいやがらせがあったであろうことは想像に難くありません。村でも中央でも、原発に賛成すれば金、女、酒の賄賂や接待漬けがあったであろうことも目に見えるようです。悲しい日本の政治と、日本の貧しい農村の姿です。福島はそうやって、東京に電気を送り続けたのです。石原知事は、原発に賛成というなら、それをまず東京湾に誘致する決断をすべきです。
原発が減価償却して、固定資産税が激減すると、村は不景気を迎えます。加えて景気のよかったときに作った設備などの維持費が村の財政を圧迫します。すると、また新しい原発を誘致する愚を繰り返して、交付金で潤う道を辿ります。いつか来た道です。原発は麻薬なのです。そうこうしている村政の挙げ句の果てが今回の事故でした。飯舘村の菅野村長にそれを知らないとは言わせない。
村民は、原発のおかげで潤って、東電に感謝していたはずです。だから、よくないかも知れないと思っていたにもかかわらず、原発を容認し続けた自分のこころの闇を、自分が誰よりも知っています。声高に東電を非難できないのです。今度こそ安全と言われれば、また受け入れて、昔の夢にすがって生きるかも知れません。これは沖縄の基地経済に似ています。よくないと思うけれども、それでも雇用があり、交付金など、経済的に潤うからという麻薬のような誘惑から逃れられないのです。その結果は、自分の娘たちが飢えた米兵の餌食になるという惨状です。自分の娘でなければいい、とか、沖縄のことならいい、といった無責任な心情が、いつまでたっても状況を改善しないのです。
原発を受け入れている町のひとつ双葉町の井戸川克隆町長は共産党の志位和夫委員長と面談したとき、志位委員長が「これは人災です」と言ったとき、声をあげて泣いたそうです。井戸川町長は自分の責任を自覚していたのです。先に挙げた飯舘村の菅野村長とは大違いです。
貧すれば窮すといいます。貧しくて、腹が減って、そんな生活からとにかく逃れたいという村民・町民を餌食にする悪魔のような東電や政治家や東大の学者たちは断じて許せない。事故後、放射能汚染が拡がる中で、大丈夫だの、ただちに健康に影響ないだのと、国民を騙し続けた東大の教授たちは悪魔以外の何者でもない。東電から金をもらって研究しているからといって、国民の健康に無関心であっていいなんて、お受験のお坊ちゃんたちは、どこで勉強してきたのか。
村や町も、原発や、戦争のための基地やに安易に寄生する経済は、いつか破綻するものと腹をくくって、遠い道かもしれないけれども、自然に依拠した長続きのする健全な産業に依拠した生活をつくっていかないと、将来、子供たちに恥ずかしいことです。東電と東大に騙されたとはいえ、選択したのは、当時の大人たちです。
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