京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Jun 27, 2011

抹茶の愚

 「アフリカ一大陸一周ツアー」というすごい本を読みました。(浅井宏純著、幻冬舎新書)300日間でアフリカ大陸を一周するバス・ツアーだそうです。それは凄絶。トイレもお風呂もないですし、お泊まりはテントです。「日本人であること」を考えるのにいい機会になりました。
http://boku-africa.sblo.jp/

 面白いと思ったのは、著者が抹茶を持参していて、なにかといえばそれを他の旅客に振る舞うのですが、一向に受けません。ただ苦くてまずい飲み物でしかない。迷惑以外の何者でもない。当然ですよね。茶の文化では日本は後進国です。それも何がよくて抹茶なのかと、本当に訝しい限りです。茶のエキスを抽出して飲料とする、中国や英国の飲み方こそ、茶の旨みを楽しむ究極の作法だと思います。世界基準なら紅茶を持参すべきですね。それも「侘び茶」とか「寂び」とか、妙な理屈をつけて得体の知れない「家元」の金儲けの手段に堕落してしまっています。茶は静かに、一人で楽しめばいいのだし(利休はそう言っています)、茶碗だの作法だの全く無用だと、私は思っています。それより、気の合う人たちと、わいわいと楽しむのが本筋なのではないですかね。何も格好をつけなくても、冷たい麦茶一杯で、十分に精神的にも満たされると思う。お茶を習っていることを、人に自慢したくて、そんな自己満足でやっているなら、そのこと自体恥ずかしいことで、ただ金に汚い「家元」に媚びているだけのことだと思います。
http://www.mypress.jp/v2_writers/yuigahama/story/?story_id=1693156

 「野の花を見よ」と言ったのはキリストです。花は野にあってこそ、真に美しい。そんな自然観をうち壊すかのような「華道」という愚もあります。これもまた、金儲けに余念のない「家元」の利益にかなっているだけのものです。
 美しい花は、それだけで美しい。一輪をシンプルな容器に活ければ、それで十分美しい。
http://www012.upp.so-net.ne.jp/mackboxy/1999/BirdsOfTheAir.htm

 日本人のもっとも恥ずかしいところは、世界の端の端の島国のくせに、根拠もなしに、何か自分は「いいもの」だと勘違いしているところです。日本の自然は世界一美しいとか、自然はどこでも美しいってえの! 日本人は家族を大切にするとか、家族を殺してるじゃないですか。子供を殺すは、年寄りが死んでも隠していたり。家族がホームレスになってるじゃあにですか。中国ではどんなに貧しくても、家族みんなが協力するそうです。日本は豊かな国だとか、では年間3万人を超す自殺者は何故?アフリカは貧しいと思っている日本人が多いと思いますが、アフリカ人にはどんなに貧しくても「自殺」はありません。売春しようが奴隷になろうが生きていく強さがあります。アフリカ人は教養がない、と思われるかも知れません。アフリカではどの国でも、外国語を話すのは常識です。英語だったり、フランス語だったり、ドイツ語だったり、他の種族の言語だったり。日本では中学、高校、大学と8年間以上にわたって英語を履修していながら、結局使える人はわずかです。
 それにしてもあの白々しくて、面白くもない「チャロ」という番組、何とかなりませんかねえ。

 「万世一系の天皇」とか言う言葉もありますが、中国の雲南省では6000年前から稲作が行われています。6000年前の我が国はどんなだったか?三国志の時代にやっと卑弥呼の時代です。天皇なんてどこにもいなかった。そのうち、一番喧嘩の強いやつが成り上がっていっただけの歴史です。そして、自分に都合のいい神話を創って、自分を神だと言い出した。その程度の神なら、世界中に数えきれないほどいるだろうよ。その天皇のためと言ってやった世界迷惑のあの戦争の結果が、誰もが知る我が国の為体です。
http://www.asahi-net.or.jp/~uv6y-ysd/sex1_1_15jp.htm

 今だからこそ、皆がよってたかって東電を悪し様に言っています。こうなる前に、何故もっと早くに、原発の危険を叫ばなかったのか? あの戦争に協力していったマスコミの愚を、何度繰り返せば私たちは学ぶのでしょうか? 自民党の石原は原発にノーと言ったイタリア国民の叡智に対して、「集団ヒステリー」と呼ばわっていました。ああ、恥ずかしい。
http://www.google.co.jp/search?source=ig&hl=ja&rlz=&=&q=%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%B8%80%E5%A4%A7%E9%99%B8%E4%B8%80%E5%91%A8%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%80%8D&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2#q=%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A&hl=ja&prmd=ivns&tbs=tl:1&tbo=u&ei=cYcITqveJ4GDmQWbppTZDQ&sa=X&oi=timeline_result&ct=title&resnum=11&sqi=2&ved=0CHAQ5wIwCg&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&fp=54531a45e139eb1d&biw=1197&bih=608

 暑いアフリカで、苦くて粉っぽいだけの飲み物である抹茶を味わう余裕は、多分ないと思います。日本人でも、暑くて身体が乾いているときに、抹茶を所望する人は少ないのではないでしょうか? そもそも、日本での日常でも、喉が渇いたから抹茶、という状況はあまりないでしょう。抹茶を喫するのは、ある特殊な状況を設定してのことで、またそれを「おいしい」と思って飲んでいるでしょうか? それが何か特別なもので、同時に、何か日本の伝統文化のようなものを勝手におっ被せて、意味もなく「いいもの」のように思ってしまっていないでしょうか? 「千家」とか「裏千家」とか、勝手に「家元」を称して特別なものにされてしまっているのです。これをきなりアフリカに持ち込んでも、まあ通用しない、という健全な国際感覚をもたないと、日本は国際社会で生きていけないでしょう。世界で、たかがお茶に「家元」などともったいをつける国は日本だけです。お茶はお茶。世界のどこでも、お茶はお茶です。勧めるなら、本当に美味しいお茶を勧めなければいけません。

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Jun 10, 2011

恋か愛か?

 恋だの愛だのと、かったるい話。恋と結婚とか、結構長い話題です。

 最近ユーミンがある質問に答えた記事が新聞に載っていて、面白いと思って、このありふれた疑問について考え直してみました。ユーミンが、松任谷 正隆さんと結婚して、35年になります。「長続きの秘訣は何ですか?」という質問に対して、「尊敬していますから」と答えていました。なるほどと思いまし た。また、最近作家の伊集院静氏がテレビ番組のインタビューで、「男は見かけで選んではダメ、誠実な男を選びなさい」と発現されていたのを聞きました。さ すがだな、と思いました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BB%BB%E8%B0%B7%E7%94%B1%E5%AE%9F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E9%9B%85%E5%AD%90

 随分前ですが、成田離婚という言葉が流行りました。そうでなくても、結構長くつきあったあと結婚して、一年で離婚、という話も実際身の回りいく つも聞かれます。ときどき会っていたころは許せたことが、一緒に暮らすとなるとどうしても我慢できない、というのです。一日中一緒にいると、多分ちょっと 可愛いくらいの器量なら、3日で飽きるでしょう。ましてや、寂しい女が不良外人の「ハグ」と「あいらぶゆう」にメロメロになって結婚したりすれば、カル チャー・ショックに行き詰まるのは目に見えています。

 多分、恋は「男と女」の関係で、愛は「人間と人間」の関係を前提とする感情なのだと思います。人間として尊敬なり好きなりでないと、長続きは難 しいのだと思います。それが若いときは、ただ「やりたい」ものだから、そのためにめかしたり、優しくしたりして相手の気を引くことに必死で、それをまた、 「愛」と勘違いするために、早晩目が覚めるということではないでしょうか? 
 女が欲しいとか、男が欲しいとか、友達は彼がいるのに自分はいないのは恥ずかしいとか、一人でいるのが寂しいから誰かにすがりついて結婚するとか、では長続きしませんよね。それでは「愛」とは呼べないですものね。

 産婦人科医をしていると、ときどき「先生が好きです」と言ってくれる患者さんがいます。お互いの立場上セックスを前提とするわけではないので、 どちらかというと「愛」の部類に入る感情だと思います。私はあまりもてる方ではないので、「ありがとう、私ははっきりものを言う方なので、嫌われることが 多いんですよ」というと、「はっきりものを言う人が好きなんです」と言われます。
 どう考えても、自分はルックスで引きつける力はないので、自分の持っている本質的な何かを見て言っているのだな、と考えられます。「医者はもて る」と言う人がいます。インテリジェントに見えるとか、金持ちだと思われているのとか、はたまた坊ちゃんが多いせいなのかも知れません。

 伊集院静氏は1984年、俳優の夏目雅子さんと結婚したことで話題になりました。それが、一年後には夏目雅子さんは癌死されて、また話題になり ました。その伊集院氏が末期の夏目雅子さんに何か欲しい物と尋ねて、彼女が「ワイン」と答えたので、買いにいったところ、お金がなくて欲しい銘柄を買え ず、安いブランドのものしか買えなかったことを、悔やんでおられました。「もう絶対に金に左右される人生は送りたくない」と決心されたと言っておられるの を聞いて、ホロリときてしまいました。金で動く人間にはなりたくない、という意味だったようです。夏目雅子さんが、彼のどんなところに惚れたのか、少しく 垣間見た思いがしました。

 電車に乗ったら、携帯を覗いている若い人がどれだけ多いことか。この人たちが、自分の未来のために毎日血が出るほどに努力している、とは到底思えないのが悲しい。この人たちの恋愛や結婚や未来に、見上げるほどのものがあるとは、これまた到底思えないのですが。

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Jun 7, 2011

国旗・国歌

 国旗や国歌に、誇りを持てて、知らず知らずに口ずさむような、内からの息吹があるならば、誰も抵抗なんてしない。それを強制するように条例を定める愚かさには、心底あきれかえる。「日の丸」も「君が代も」史上最悪の、おぞましい記憶を伴っていることは、否めない。

 9才のエディット・ピアフが、路上で歌わせられる「ラ・マルセイエーズ」に泣けた。映画がどれだけ実話に忠実なのかは知らないけれど、恵まれない生い立ちのフランス人の少女が生活のために歌うその歌に心が動いた。
「君が代」とは違う。絶対王政を倒して革命を成功させて、世界の範となった国民の誇りに満ちています。歌詞を下に挙げました。ブランドしか知らない人には、フランスのイメージが変わるかも知れませんね。それにつけても「パリ祭」がロマンチックなお祭りだと思っているおめでたい日本人がいるのには、いつもあきれます。「パリ祭」という言葉はありません。戦前の検閲を恐れた当時の映画人がつくった嘘です。革命記念日が正しい呼び名で、パリの街では軍のパレードなどが行われます。
 1.
いざ祖国の子らよ!
栄光の日は来たれり
暴君の血染めの旗が翻る
戦場に響き渡る獰猛な兵等の怒号
我等が妻子らの命を奪わんと迫り来たれり

<リフレイン>
武器を取るのだ、我が市民よ!
隊列を整えよ!
進め!進め!
敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ!

2.
奴隷と反逆者の集団、謀議を図る王等
我等がために用意されし鉄の鎖
同士たるフランス人よ!
何たる侮辱か!何をかなさんや!
敵は我等を古き隷属に貶めんと企めり!

3.
何と、我が国を法で縛ろうというのか!
何と、金で雇われた傭兵共の集団で
我等の誇り高き戦士を打ち倒そうというのか!
我等を屈服せしめるくびきと鎖
我々の運命を支配せんとす下劣な暴君共よ!

4.
打ち震えるがいい、暴君共そして反逆者等よ
恥ずべき者共よ
打ち震えるがいい、恩知らずの企みは
報いを受ける最後を迎えよう
国民すべてがお前達を迎え撃つ兵士なり
たとえ我等の若き戦士が倒れようとも
大地が再び戦士等を生み出すだろう
戦いの準備は整った

.
我等がフランス人よ、寛大なる戦士たちよ
攻撃を控えることも考えよ
我等に武器を向けた事を後悔した哀れな
犠牲者達は容赦してやるのだ
ただしあの残虐な暴君と
ブイエ将軍の共謀者等は別だ
冷酷にも母体を引き裂いて生まれ出でし
暴虐な虎共には容赦無用なり!

6.
復仇を導き支えるのは神聖なる愛国心なり
自由よ、愛しき自由よ
汝を守る者と共にいざ戦わん
御旗の下、勝利は我々の手に
敵は苦しみの中、我々の勝利と栄光を
目の当たりにするだろう

7.
我々は進み行く 先人達の地へ
彼等の亡骸と美徳が残る地へ
延命は本意にあらず
願わくは彼等と棺を共にせん
取らずや先人の仇、さもなくば後を追わん
これぞ我々の崇高なる誇りなり

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Jun 5, 2011

悪魔のトリオ

 福島の原発事故は、人災です。どう考えても、自民党、東電、東大の三悪魔の仕業としか思えない。それだけ金が動いたということです。その悪行を棚上げするかのように、管降ろしに血道をあげる谷垣や石原やを、日本の国民は許しておいていいのかと大いに疑問。お前ら、まず真剣に復興に取り組めと言いたい。大体、谷垣や石原
よりも、天皇さんの方が、現地の人々には力になってるんじゃあないのか、とも言いたい。東電から金をもらってきた東大の教授連は、今何をしているのやら。

 そもそも、地球の地表面積の0.3%の日本国土に、世界の地震の10%が発生していて、そこに54基、世界の13%の原発が密集させて、それでも安全、安全と人々を騙し続けてきたことの異常を、自民党、東電、東大の三悪魔が知らなかったとは言わせない。「想定外」で許される話ではないと思う。沖縄の基地だって、沖縄の人々には危険以外の何者でもない。そもそも、国の安全をどう考えているのか、という問題について、これほどいい加減で、無責任な国は珍しいと思う。

 沖縄の基地は、無理矢理接収されたものを、日本政府が「安全保障」とか何とかいって後からアメリカに追随してきたものだけれど、福島の場合は、原発誘致に伴う利権や交付金に(金に)目がくらんだ自治体や住民の責任もあって、一筋縄の話ではない、けれども、けれども「危険なこと」を押しつけた政治や学者の責任は不問にしてはいけないと思う。

 長崎大学は当時東電からの研究費をきっぱりと拒否していました。東電にそのように利用されることを見抜いていたのです。だから今回、「ただちに健康に影響なし」とか、「注腸検査一回分の被曝がどうの」とか苦しい言い逃れをする立場に追い込まれずに済んだのです。私の実家の漁村にも、当時原発誘致の甘い?罠が仕掛けられましたが、村を挙げて反対しました。海を守ったのです。その代わりに、高速道路や鉄道の敷設はキャンセルされて、日本で有数の不便な土地になりました。当時漁業で生計を立てていた叔父たちが、「原発が来るいいよるけんど、反対せにゃいかん」ときっぱり言っていたことに、今尊敬の念でいっぱいです。村は津波がなくても台風銀座で、おそらく福島並のおんぼろ原発では、事故は必発だったことでしょう。

帝王切開

 「仁」の帝王切開のシーンは、嘘くさいけど泣けた。「生命」をテーマにしたストーリー仕立てには、医師でなくても考えるところの大きい筋立てです。
 世にある、医師もののドラマがどれだけ人を馬鹿にしたものであるかを。深く考えさせられます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/JIN-%E4%BB%81-

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