抹茶の愚
「アフリカ一大陸一周ツアー」というすごい本を読みました。(浅井宏純著、幻冬舎新書)300日間でアフリカ大陸を一周するバス・ツアーだそうです。それは凄絶。トイレもお風呂もないですし、お泊まりはテントです。「日本人であること」を考えるのにいい機会になりました。
http://boku-africa.sblo.jp/
面白いと思ったのは、著者が抹茶を持参していて、なにかといえばそれを他の旅客に振る舞うのですが、一向に受けません。ただ苦くてまずい飲み物でしかない。迷惑以外の何者でもない。当然ですよね。茶の文化では日本は後進国です。それも何がよくて抹茶なのかと、本当に訝しい限りです。茶のエキスを抽出して飲料とする、中国や英国の飲み方こそ、茶の旨みを楽しむ究極の作法だと思います。世界基準なら紅茶を持参すべきですね。それも「侘び茶」とか「寂び」とか、妙な理屈をつけて得体の知れない「家元」の金儲けの手段に堕落してしまっています。茶は静かに、一人で楽しめばいいのだし(利休はそう言っています)、茶碗だの作法だの全く無用だと、私は思っています。それより、気の合う人たちと、わいわいと楽しむのが本筋なのではないですかね。何も格好をつけなくても、冷たい麦茶一杯で、十分に精神的にも満たされると思う。お茶を習っていることを、人に自慢したくて、そんな自己満足でやっているなら、そのこと自体恥ずかしいことで、ただ金に汚い「家元」に媚びているだけのことだと思います。
http://www.mypress.jp/v2_writers/yuigahama/story/?story_id=1693156
「野の花を見よ」と言ったのはキリストです。花は野にあってこそ、真に美しい。そんな自然観をうち壊すかのような「華道」という愚もあります。これもまた、金儲けに余念のない「家元」の利益にかなっているだけのものです。
美しい花は、それだけで美しい。一輪をシンプルな容器に活ければ、それで十分美しい。
http://www012.upp.so-net.ne.jp/mackboxy/1999/BirdsOfTheAir.htm
日本人のもっとも恥ずかしいところは、世界の端の端の島国のくせに、根拠もなしに、何か自分は「いいもの」だと勘違いしているところです。日本の自然は世界一美しいとか、自然はどこでも美しいってえの! 日本人は家族を大切にするとか、家族を殺してるじゃないですか。子供を殺すは、年寄りが死んでも隠していたり。家族がホームレスになってるじゃあにですか。中国ではどんなに貧しくても、家族みんなが協力するそうです。日本は豊かな国だとか、では年間3万人を超す自殺者は何故?アフリカは貧しいと思っている日本人が多いと思いますが、アフリカ人にはどんなに貧しくても「自殺」はありません。売春しようが奴隷になろうが生きていく強さがあります。アフリカ人は教養がない、と思われるかも知れません。アフリカではどの国でも、外国語を話すのは常識です。英語だったり、フランス語だったり、ドイツ語だったり、他の種族の言語だったり。日本では中学、高校、大学と8年間以上にわたって英語を履修していながら、結局使える人はわずかです。
それにしてもあの白々しくて、面白くもない「チャロ」という番組、何とかなりませんかねえ。
「万世一系の天皇」とか言う言葉もありますが、中国の雲南省では6000年前から稲作が行われています。6000年前の我が国はどんなだったか?三国志の時代にやっと卑弥呼の時代です。天皇なんてどこにもいなかった。そのうち、一番喧嘩の強いやつが成り上がっていっただけの歴史です。そして、自分に都合のいい神話を創って、自分を神だと言い出した。その程度の神なら、世界中に数えきれないほどいるだろうよ。その天皇のためと言ってやった世界迷惑のあの戦争の結果が、誰もが知る我が国の為体です。
http://www.asahi-net.or.jp/~uv6y-ysd/sex1_1_15jp.htm
今だからこそ、皆がよってたかって東電を悪し様に言っています。こうなる前に、何故もっと早くに、原発の危険を叫ばなかったのか? あの戦争に協力していったマスコミの愚を、何度繰り返せば私たちは学ぶのでしょうか? 自民党の石原は原発にノーと言ったイタリア国民の叡智に対して、「集団ヒステリー」と呼ばわっていました。ああ、恥ずかしい。
http://www.google.co.jp/search?source=ig&hl=ja&rlz=&=&q=%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%B8%80%E5%A4%A7%E9%99%B8%E4%B8%80%E5%91%A8%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%80%8D&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2#q=%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A&hl=ja&prmd=ivns&tbs=tl:1&tbo=u&ei=cYcITqveJ4GDmQWbppTZDQ&sa=X&oi=timeline_result&ct=title&resnum=11&sqi=2&ved=0CHAQ5wIwCg&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&fp=54531a45e139eb1d&biw=1197&bih=608
暑いアフリカで、苦くて粉っぽいだけの飲み物である抹茶を味わう余裕は、多分ないと思います。日本人でも、暑くて身体が乾いているときに、抹茶を所望する人は少ないのではないでしょうか? そもそも、日本での日常でも、喉が渇いたから抹茶、という状況はあまりないでしょう。抹茶を喫するのは、ある特殊な状況を設定してのことで、またそれを「おいしい」と思って飲んでいるでしょうか? それが何か特別なもので、同時に、何か日本の伝統文化のようなものを勝手におっ被せて、意味もなく「いいもの」のように思ってしまっていないでしょうか? 「千家」とか「裏千家」とか、勝手に「家元」を称して特別なものにされてしまっているのです。これをきなりアフリカに持ち込んでも、まあ通用しない、という健全な国際感覚をもたないと、日本は国際社会で生きていけないでしょう。世界で、たかがお茶に「家元」などともったいをつける国は日本だけです。お茶はお茶。世界のどこでも、お茶はお茶です。勧めるなら、本当に美味しいお茶を勧めなければいけません。
http://boku-africa.sblo.jp/
面白いと思ったのは、著者が抹茶を持参していて、なにかといえばそれを他の旅客に振る舞うのですが、一向に受けません。ただ苦くてまずい飲み物でしかない。迷惑以外の何者でもない。当然ですよね。茶の文化では日本は後進国です。それも何がよくて抹茶なのかと、本当に訝しい限りです。茶のエキスを抽出して飲料とする、中国や英国の飲み方こそ、茶の旨みを楽しむ究極の作法だと思います。世界基準なら紅茶を持参すべきですね。それも「侘び茶」とか「寂び」とか、妙な理屈をつけて得体の知れない「家元」の金儲けの手段に堕落してしまっています。茶は静かに、一人で楽しめばいいのだし(利休はそう言っています)、茶碗だの作法だの全く無用だと、私は思っています。それより、気の合う人たちと、わいわいと楽しむのが本筋なのではないですかね。何も格好をつけなくても、冷たい麦茶一杯で、十分に精神的にも満たされると思う。お茶を習っていることを、人に自慢したくて、そんな自己満足でやっているなら、そのこと自体恥ずかしいことで、ただ金に汚い「家元」に媚びているだけのことだと思います。
http://www.mypress.jp/v2_writers/yuigahama/story/?story_id=1693156
「野の花を見よ」と言ったのはキリストです。花は野にあってこそ、真に美しい。そんな自然観をうち壊すかのような「華道」という愚もあります。これもまた、金儲けに余念のない「家元」の利益にかなっているだけのものです。
美しい花は、それだけで美しい。一輪をシンプルな容器に活ければ、それで十分美しい。
http://www012.upp.so-net.ne.jp/mackboxy/1999/BirdsOfTheAir.htm
日本人のもっとも恥ずかしいところは、世界の端の端の島国のくせに、根拠もなしに、何か自分は「いいもの」だと勘違いしているところです。日本の自然は世界一美しいとか、自然はどこでも美しいってえの! 日本人は家族を大切にするとか、家族を殺してるじゃないですか。子供を殺すは、年寄りが死んでも隠していたり。家族がホームレスになってるじゃあにですか。中国ではどんなに貧しくても、家族みんなが協力するそうです。日本は豊かな国だとか、では年間3万人を超す自殺者は何故?アフリカは貧しいと思っている日本人が多いと思いますが、アフリカ人にはどんなに貧しくても「自殺」はありません。売春しようが奴隷になろうが生きていく強さがあります。アフリカ人は教養がない、と思われるかも知れません。アフリカではどの国でも、外国語を話すのは常識です。英語だったり、フランス語だったり、ドイツ語だったり、他の種族の言語だったり。日本では中学、高校、大学と8年間以上にわたって英語を履修していながら、結局使える人はわずかです。
それにしてもあの白々しくて、面白くもない「チャロ」という番組、何とかなりませんかねえ。
「万世一系の天皇」とか言う言葉もありますが、中国の雲南省では6000年前から稲作が行われています。6000年前の我が国はどんなだったか?三国志の時代にやっと卑弥呼の時代です。天皇なんてどこにもいなかった。そのうち、一番喧嘩の強いやつが成り上がっていっただけの歴史です。そして、自分に都合のいい神話を創って、自分を神だと言い出した。その程度の神なら、世界中に数えきれないほどいるだろうよ。その天皇のためと言ってやった世界迷惑のあの戦争の結果が、誰もが知る我が国の為体です。
http://www.asahi-net.or.jp/~uv6y-ysd/sex1_1_15jp.htm
今だからこそ、皆がよってたかって東電を悪し様に言っています。こうなる前に、何故もっと早くに、原発の危険を叫ばなかったのか? あの戦争に協力していったマスコミの愚を、何度繰り返せば私たちは学ぶのでしょうか? 自民党の石原は原発にノーと言ったイタリア国民の叡智に対して、「集団ヒステリー」と呼ばわっていました。ああ、恥ずかしい。
http://www.google.co.jp/search?source=ig&hl=ja&rlz=&=&q=%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%B8%80%E5%A4%A7%E9%99%B8%E4%B8%80%E5%91%A8%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%80%8D&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2#q=%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A&hl=ja&prmd=ivns&tbs=tl:1&tbo=u&ei=cYcITqveJ4GDmQWbppTZDQ&sa=X&oi=timeline_result&ct=title&resnum=11&sqi=2&ved=0CHAQ5wIwCg&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&fp=54531a45e139eb1d&biw=1197&bih=608
暑いアフリカで、苦くて粉っぽいだけの飲み物である抹茶を味わう余裕は、多分ないと思います。日本人でも、暑くて身体が乾いているときに、抹茶を所望する人は少ないのではないでしょうか? そもそも、日本での日常でも、喉が渇いたから抹茶、という状況はあまりないでしょう。抹茶を喫するのは、ある特殊な状況を設定してのことで、またそれを「おいしい」と思って飲んでいるでしょうか? それが何か特別なもので、同時に、何か日本の伝統文化のようなものを勝手におっ被せて、意味もなく「いいもの」のように思ってしまっていないでしょうか? 「千家」とか「裏千家」とか、勝手に「家元」を称して特別なものにされてしまっているのです。これをきなりアフリカに持ち込んでも、まあ通用しない、という健全な国際感覚をもたないと、日本は国際社会で生きていけないでしょう。世界で、たかがお茶に「家元」などともったいをつける国は日本だけです。お茶はお茶。世界のどこでも、お茶はお茶です。勧めるなら、本当に美味しいお茶を勧めなければいけません。