京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Oct 30, 2010

真のパワースポット・小塚原回向院

 南千住に小塚原(こづかっぱら、骨ヶ原の転?)回向院という目立たないお寺があります。もちろん観光客が訪れるところではないので、真剣に亡くなった方々の菩提を弔う参拝者ばかりです。時に私のような歴男君がいて、雰囲気を壊して、申し訳ない気持ちにさせられる本当に厳かな雰囲気です。

 日本の観光地で、何度行ってもいいと思うスポットは、私の場合は長崎、東京、上高地でしょうか。もちろん一番好きなのは京都ですが、これはホームタウンですから、観光地ではありません。
http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/420134759/in/set-72157600994843171/

 東京も浅草、銀座のように、上京すれば必ず訪れるスポットもあるのですが、今回はここへ行くぞ、と覚悟して訪れる場所もあります。その一つがこの小塚原の回向院であったり、また先に紹介した碑文谷の圓融寺であったりします。

 小塚原回向院には近接して刑場跡があり、この刑場は鈴ヶ森と並ぶ江戸の二大刑場の一つで、1667年に建立されて以来、200年の間に刑死した20万人もの遺体が葬られ、今も手厚く弔われています。刑死者の回向は当時幕府により一般には厳しく禁じられていて、この回向院にのみ許されていました。
http://www.dentan.jp/minamisenjyu/minamisenjyu03.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%88%91%E5%A0%B4
http://www.tesshow.jp/arakawa/temple_ssenju_enmei.shtml

 JR常磐線・南千住駅を出て、通りを渡った正面にあります。が、回向院と刑場跡はそこを通過する三本の鉄道路線に分断されて、その存在というか、保存状態は極めて貧弱です。ここに葬られている人びとの中には、安政の大獄で処刑された吉田松陰(享年29才)、将軍の後継者問題でお咎めをうけた橋本左内(享年29才)、反幕府思想家だった頼三樹三郎(頼山陽の息子)、二・二六事件のリーダーだった磯部浅一とその妻等がいて、私たちが刑死者という言葉から受けるイメージとその実態は離反しています。彼らの墓前には今も花が絶えません。人知れずとも、常に誰かが彼らの霊を弔っているのです。東京という地名から、私たちが受けるイメージが、かなり偏ったものであることを思い知らされます。大河ドラマの影響で龍馬を追いかける心理とは、いかにかけ離れたものであるか、反省を乞いたいと思います。
http://www.yuuki.ac/taiken/kodu/kodu.html
http://orange.zero.jp/kkubota.bird/keijo.htm

 幕末から明治へと、激しい論戦を通じて、日本は新しい国家へと変貌していきました。その過程で一方の論客たちが、政治犯として刑死していった時代がありました。結果、私たちの国は進路を誤り、無謀な戦争への道を突き進み、おぞましい歴史的破滅を経験します。それなのに、我が国は、一方の戦争を推し進めた一派を帝国陸軍が創始した靖国神社に、英霊として祭り上げてしまっています。
 刑場跡は三本の鉄道の走る只中にあり、我が国がその刑死者たちを、手篤く弔う姿勢を持たないことは明白です。そもそも刑死者たちは、人間扱いを受けずに、名ばかりの埋葬で、浅く掘られた穴に埋められ、軽く土で覆っただけであったため、雨が降ると悪臭漂い、また露出した死骸に野良犬が群がって、この世の地獄だったと言われています。それどころか、今でも遺骨が現れることがあるということです。刑場跡に座す首切地蔵(正式には延命地蔵)という高さ3.6mの石像が今も、参列者を睥睨しています。

 私たちが歴史上のどちらの勢力に組みするのかは別にして、真剣に国の行く末を案じて、そのために刑死を強いられた悲劇に、少しは心を痛めて、一度はその墓前に頭を垂れるのも、日本人としての一つのけじめではないかと考えます。
 少なくとも、論戦で優位に立った者たちの過ちが、国を滅ぼしたのですから、「国のために戦った人々」のために、と言って靖国神社にお参りする政治家の弁はおかしいと思います。あの戦争は決して「国のため」にはなっておらず、誤った戦争のため、国を滅ぼした恥ずべき行為だったはずです。
http://www2.odn.ne.jp/mumyo/diary/part03.htm
http://www.arakawa-unet.jp/sightseeing/root/root02/index.html

 小塚原回向院の入り口左手には「吉展地蔵尊」が祀られています。昭和38年の営利誘拐事件の被害者だった村越吉展ちゃん(4才)の霊を弔っています。また入り口右手には「観臓記念碑」が刻印されていますが、これは明和8年(1771)3月4日杉田玄白・前野良沢らが、蘭学医学書を見ながら当地で刑死者を腑分けし「解体新書」として翻訳した記念です。この回向院は、日本医学の草分けの地でもあるbのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B1%95%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E8%AA%98%E6%8B%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 どう考えても、先に紹介した浅草の今戸神社をパワースポットと勘違いして殺到するのはマスコミに作られたブームに乗っているだけの没知性。あれはただの金儲け主義の土産物売り屋で、決して「神社」を名乗る資格はないものと断じたい。
 一度小塚原の気に触れれば、誰でもそう感じると思います。小塚原の刑場跡・延命寺には、今でも刑死者の霊を弔う人々の献花が絶えません。小塚原回向院はNHK を最悪の頂とする日本のマスコミに、私たちがいかに毒されているのかを、深く問いかける歴史遺産で、真のパワースポットと呼べるスポットです。

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Oct 28, 2010

今戸神社ーこの罰当たりの金の亡者

 浅草に今戸神社という神社?があって、招き猫発祥の地とか、今流行のパワースポットとか、NHK などの怪しいマスコミが取り上げたりすることもあって、人気スポットになっています。
http://www.tctv.ne.jp/imado-8/T1.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%88%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 この神社に詣でたある女性の話です。雑誌に紹介された記事を見て、東京へ行ったついでに立ち寄ったそうです。そこで記念にお守りを買い求めたそうなのですが、ここからが信じ難い神社の為体です。

 何種類かのお守りから、前から決めていたアイテムを指定して買い求めたつもりが、神社側の間違いで、違った種類のものが包装されていたことに帰宅して気付きます。そこで神社に電話してその旨を告げて、郵送で交換を申し出たところ、電話に応対した男性は、「どういうことでしょうか」と非常に無愛想な態度。挙げ句、「けい子〜!」とか言って、どうやら嫁さん?に助けを求めたそうです。
 女性は買い求めたお守りを、一言詫びの言葉を添えて郵送したところ、送り返されたものは、駅などの土産物屋然とした透明の袋にいれただけの包装で、間違えて違うものを渡したことに対する謝罪の文言すらなかったということです。それに、郵送にかかった切手代は無言で当方負担となってしまったということです。

 そもそも間違えて別のものを売ったのなら、送料は神社が負担するのは当然だし、形だけでも謝罪の文を同封しないのはおかしいことです。それと、ものがお守りなのですから、ちゃんと神社の御紋の袋に封じて送り返すべきです。さらに言えば、神様の威を送るのですから、確かに本人に届くよう書留便で送らなければならないはずです。

 神社はそのお守りを並べて売っているところから、もう「神社」ではなくて、まるで物売りの体だったということでした。京都の神社なら、並べてあるものの中から自分で選んだものを、巫女さんが神社の御紋の袋に包んでくれて、「よくお参り下さいました」と一言添えて下さいます。今戸神社の場合は、口の達者なおばはんが、普通の服装でただものを売っているだけで、あまつさえ、買い手の持ち物について「それサマンサ・タバサのバッグやね」とか、詮索がましい汚らわしさです。買ったお守りが入っている袋も、ただ神社の名前のスタンプを押しただけのもので、どう見ても、「神社」のものとは言い難いものだったということでした。

 ついでに言うと、今戸神社には参拝者のためにトイレがありません。その用は、近所の隅田公園のトイレを利用して下さいと冷たい仕打ちです。万が一の御利益を信じて、遠く地方からお参りする人に対して、それはないだろう、と言いたい。

 今戸神社は、そもそも参拝者を金蔓としか思っていません。怪しいお守り?を土産物然と並べて、ただ売っているだけです。神社には神に代わって、護符を授与させていただくという謙虚さは、爪の先ほどもないということです。この神社は、「神社」を名乗る資格はないし、パワースポットなどでは到底あり得ないことは自明です。

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Oct 22, 2010

東京:碑文谷の蓮華往生

 東京へ行く目的は、出張ですか? それとも、東京ディズニー・リゾートですか?

 歴史の好きな私の場合は、浦安や台場よりも碑文谷や千住を選んでしまいます。碑文谷の圓融寺は、それは忌まわしい歴史をもつ寺院です。平安前期の開基で、東京では最も古い室町時代に遡る寺院建築を誇ります。元禄年間、圓融寺は日蓮宗のお寺で、法華寺と称していました。この法華寺を舞台にして、怪しげな「蓮華往生」という悪行が営まれます。
http://www.enyuu-ji.com/
http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/rekishi/nanbu/enyu/index.html

 売り言葉は「蓮華往生」でした。あなたが即身成仏を願うなら、この法華寺を訪ねればよかった。彼らはまずあなたに経帷子を着せます。そして、八葉の蓮華の台に坐らせて、機械でその花弁を閉じるのです。あなたは蓮華の華の中に閉じこめられます。そして、坊主どもが蓮華台の周囲で木魚や鉦をたたいて、大声で読経します。そのとき、蓮華台の下から男が槍であなたを刺し貫きます。あなたは絶叫しますが、外の騒音はそれを掻き消します。見守る人びとには、あなたの絶命の声は聞こえません。蓮華の花弁を開くと、安らかな死に顔が拝まれる、という仕掛けだったそうです。往生料金は一人につき百両ないし二百両だったといいます。
http://www.c-player.com/ad47764/message/20100826?format=time

 このいかさまはお上の知るところとなり、その蓮華往生を仕切って三万両の大金を稼いだ悪僧日奥は遠島処分になりましたが、法華寺は存続します。そして百年後の寛政年間、ふたたび養道という悪僧が、日附という美男僧を看板にして人を集め。再びこの蓮華往生パフォーマンスを実行します。日附の悪行もついに暴かれて、やはり遠島となり、寺は天台宗の圓融寺となります。

 大正時代に仁王門の藪を掘り返すと、人骨のはいった壺が数え切れないほど出てきたそうです。

 が、この話は実話ではないとも言われています。蓮華往生という悪行は実際に下総・上総の寺で実際に行われたそうですが、日蓮宗を弾圧するために法華寺に濡れ衣を着せたものとも言われているようです。

 いずれにせよ、日本の仏教の胡散臭さがプンプンと香る、いやな話です。

 比叡山の千日回峰行は一度紹介しました。仏教徒の中には、真に人びとの幸せと自らの解脱を求めて修行している方もおられますが、その辺でみかける坊主どもは、単なる葬式仏教の商売坊主ばかりです。江戸で、懺悔の気持ちからか、業病からの解放を求めてか、蓮華往生を願った信者に対して、当時の日蓮宗のとった仕打ちの汚さを、今の圓融寺の佇まいからは感じられないかも知れませんが、歴史の舞台を踏むために、訪ねてきました。
http://www.sakai-yusai.com/yougo/main.html

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Oct 12, 2010

浅草初心者グルメ、この三軒

 浅草が好きです。もう往年の花の都の下町風情はありませんが、現在の賑わいにも、東京の他の観光地とは一味違う「江戸の良さ」が生きています。
http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/5074630239/

 浅草で食べる、お茶する際に、慣れた人ならすでにお馴染みのお店があると思いますが、初心者の浅草入門的レポートを書いてみます。

 まずお昼を食べます。東京と言えば、なんと言っても「そば」でしょう。
 雷門の前の信号を渡って、雷門を背にまっすぐ歩いた右手に「並木藪蕎麦」(03-3841-1340)というお店があります。創業1913年。行列は覚悟を、並んででも食べたい。「ここのソバを食べずして江戸(東京)のソバを語るなかれ」と言う人もいます。ざるとかけそれぞれ700円。おつまみのてんぷら(1300円)もあります。ざるのつけ汁は濃い目で、浸して食べると辛い、付けて食べましょう。かけは東京風の黒い汁に白ねぎがパラパラ。そばがうまい、汁がうまい。お店はやや暗いですが清潔感あり。大正レトロの店内にきびきびと働く割烹着の店員さんたちが、江戸の気風を感じさせて気持ちがいい。気配りは周到なのに、余分なおしゃべりをしないところがプロです。木曜が定休で、19:30までの営業なので、夕食には向かないかも知れません。
http://www.01ch.com/gourmet/namiki-yabu.html
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/2329/tawagoto/sobayadeikou.html
http://www.tokyo-kurenaidan.com/yabu1.htm

 次に夕食には、雷門右手の「三定(さんさだ)」(03-3841-3400)の天ぷら。天保八年、三河の定吉さんが開祖というわけで「三定」。創業160年、東京で一番古い天ぷら屋さんです。お店に入ると、まず2階に通されて、靴を脱いでお座敷に案内されます。メニューを見ると、お店の構えの割りにお値段は普通です。所謂天ぷら定食が、1500円(吾妻橋)から食べられます。天丼は1380円から。定食の卵焼きが、お母さんの卵焼き然として、焦げ目があって、甘さ控えめで懐しおいしい。天ぷらもお母さんが作ったような外観ですが、これがおいしい。とにかくおいしい。脂っこくなく、後味さわやかで、胃にもたれません。茄子が絶品でした。さすが東京です。
http://www.tempura-sansada.co.jp/

 浅草でお茶するときの定番はオレンジ通りを入ったところ右手の「アンヂェラス」(03-3841-2208 )です。昭和21年創業で、山小屋風の創り。「渋い」の一言です。店内は三階まであります。やや狭い感がありますが、十分寛げます。川端康成や池波正太郎、手塚治虫さん達が通ったお店だと言われたら、なるほどね、という感じがします。メニューでは店名と同じ「アンヂェラス」がお勧めです。バタークリーム巻きにチョコレートをカバーした小ぶりのケーキで、白と黒があって白が絶妙(320円)。お店は不定休です。お店を出て、すぐ隣の路地から東京スカイツリーが見えます。
http://www.asakusa-umai.ne.jp/umai/angelus.html
http://zyunnkissa.blog85.fc2.com/blog-entry-71.html

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Oct 10, 2010

「肖像権」をタテに「表現の自由」を侵害する「クレヨンハウス」というお店

表参道にクレヨンハウスという子供の本の専門店?があります。地下のレストランの風景にカメラを構えたとき、Kという店員から制止されました。近頃では、ときどき店内の撮影を禁止するお店があります。

 私の撮影を制止したその店員は、他のお客さんの「肖像権」がどうのこうのと言うのですが、その前に、「表現の自由」が憲法で保障された国民の基本的権利だということを無視しています。一人のレストランの店員が得体の知れない「肖像権」を理由に、ある人の「表現の自由」を制限できると考えているとすれば、これは由々しきことです。もちろん、「クレヨンハウス」というお店自体に憲法を無視した「反人権」思想があることになります。表参道の「クレヨンハウス」は三階の売り場に、憲法に関するポスターを貼ってあって、よほどこの方面には明るくて、民主主義の思想を勉強した店員さんが勤めているのかと思っていた矢先のことで、大変ショッキングでした。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1

 日本国憲法12条1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と明確に規定していますが、憲法上は、「肖像権」も「プライバシー」も何の規定もありません。
 そもそも法律で「肖像権」なるものは、何の規定もないのです。法的に明らかに規定されない「肖像権」をもって、基本的人権である「表現の自由」を制限しようとすることは、許すべからざる暴虐というものです。
 これについて判例では、「警察官が正当な理由無く個人を撮影してはならない」というのがあったそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%96%E5%83%8F%E6%A8%A9

 もし、私人の撮影が許されないなら、混雑した交差点を表現する写真は撮れません。写っているひとりひとりに、その不明確な「肖像権」を理由に、いちいち承諾を得ないと発表できないことになってしまうからです。トイレや入浴中など、プライベートな場面を盗撮するのと、不特定の人が集まる公的な場所を撮影するのはその性質が違います。自分の子供を写しても、後ろに他人が入ってくるのは避けられないことです。「肖像権」という憲法にも法律にも規定のない言葉で他人の行動を規制するとは、何たるレストランなのか。そもそもお客さん同士の、個人的な関係には立ち入らないのが、お店のあり方で、苦情を言うお客さんがあれば、むしろ、撮影は個人の人権に属する問題ですからと憲法を守る立場に立つことが立憲国家の市民の姿勢です。トラブルを恐れるあまり、人権侵害に陥る日本人の人権意識の低さには恐れ入ります。
 一枚の写真がどんな理由で、誰をどう傷つけたのか、それは、実際にそういう問題が生じた時の個人対個人の問題で、ひとつの商店の店員が軽々しく口をさしはさむ問題とは違います。
http://www.hi-ho.ne.jp/toyo-x/shouzou.html

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