京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Sep 25, 2010

最強パワースポット 島原・原城

 夜更けに原城跡に行くと言ったら、運転手さんに「お客さん止めた方がいいですよ。きっと何か出ますよ」と言われる。旅館で女将さんに懐中電灯を貸してほしいと言うと、女将さんは真っ青です。「今から行くんですか、怖いですよ。止めた方がいいですよ」と言われてしまった。
http://www.miyatasan.com/~yagifau/fujinamiism/harajo.htm

 夜の原城跡は怖かった。本当に怖かった。とにかく広い。島原の乱の跡、幕府によって城は徹底的に解体されて、その後何も整備されていないし、もちろん照明もなし。史跡ですが、公園とはわけが違います。1637年、三ヶ月間の凄惨な戦いの果てに、籠城した3万7千人の反乱軍は、女も子供も老人も皆殺しにされて死体は野ざらしにされました。今でもクロスや人骨が出るそうです。そうして、当時の南島原には一人の農民もいなくなりました。思えばこれほどのパワースポットないですよね。領主にじわじわといびり殺されるか、飢えて死ぬかの瀬戸際に追い込まれていた上に、飢饉が重なって勃発した乱でした。

 決起した農民は、当時16歳だった天才?少年・天草四郎を大将に立てて、無謀な一揆を企てます。その際、四郎を「神父」に見立てて、棄教していた禁制のキリスト教に復帰していきます。農民たちは、幕府に組していた僧や神官を殺害し、寺院や神社を焼き払います。そして仲間の農民に入信を強制します。入信しなければ殺すと脅されて、信徒になっていった農民たちは、やむなく信教を誓わされた、真に救われない人々でした。原城に籠る際、女子供や老人も引き込みました。外に家族を残せば、幕府軍に人質にとられて虐待されるのは明らかだったからです。
http://srtutsu02.hp.infoseek.co.jp/shiro450.html

 おそらく彼らの霊は成仏できないでいるでしょう。クリスチャンを自任した反乱軍でしたが、禁教令のため、正式の神父はすでに殺されたり、追放されたりして、日本には一人もいなかったので、正規に入信することは不可能でした。だから当然ながら、ローマ教会は公式には彼らを信徒とは認めていません。しかもローマ教会は権力者に対する反乱を禁じていましたから、結局彼らの乱は永遠に殉教とは認定されません。正規のキリスト教徒ではなかったのです。自らを信徒と任じて、神のみ元へ行けることを唯一の救いと信じて、虐殺に甘んじた魂は、到底救われる術を持たないのです。こんな悲しいことがあるでしょうか。
http://www.k-moto.net/book32/archives/2006/08/post_281.html

 そんな信教でしたが、自分たちは切支丹と自任していたはずの魂が、夜、私に危害を加えるはずはないと、固く信じていました。風の音とともに、救われない数万の魂たちの呻きを耳にすることはあっても、今の自分にしてあげられることは、ただ祈ってあげることだけでした。信仰をもたない身ですが、このときばかりは、心から祈ったことでした。

 夜の原城跡はこれ以上ない深い闇と、完全な静寂の中にありました。歩いても歩いても、濃密な、生命のない闇と静寂の支配する、辿る道なき彷徨です。森々と怖い。土地の人でさえ、まだ救われない怨霊が、徘徊していると信じているようです。こんなに孤独で恐ろしい時間は、経験したことがなかった。私たちは、都会では、本当の闇の黒さを知りません。トイレに行く以外、真の孤独な時間はまずありません。原城跡こそ、真のパワースポットと呼んでいいのではないかと、真剣に思いました。そして、きっとまた同じ祈りを捧げるために再訪することを誓わせる力のあるスポットでした。
http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/5035019313/in/pool-blog_this#/photos/7294954@N02/5035019313/in/pool-419753@N20/

 ところで天草四郎が豊臣秀頼の子だったというのは、本当か?
http://katntunlove.jugem.jp/?eid=2291

http://hp17.0zero.jp/bbs/kiji.php?uid=pikachu1005&dir=363&num=6&th=&unum=1181039160878&m_no=0&admin=
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E9%95%B7%E5%B4%8E/%E5%B3%B6%E5%8E%9F
http://www5a.biglobe.ne.jp/~syuko/backnumber2008-2/index316.html
http://hp17.0zero.jp/bbs/kiji.php?uid=pikachu1005&dir=363&num=6&th=&unum=1181039160878&m_no=0&admin=
http://homepage2.nifty.com/izumokozou/harunosiro.htm

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Sep 23, 2010

木村拓哉は富士山麓に住んでいる?

 目黒に富士山がありました。今ではその形跡を残す立て看板がひとつ残っているだけですが、江戸時代に近藤重蔵という侍が、屋敷の庭に高さ10mくらいの富士山を作ったもので近藤富士と呼ばれます。目黒新富士とも呼ばれて、安藤広重の「名所江戸百景」にも描かれています。
 当時、富士信仰が盛んで、江戸中に50くらいのミニ富士が作られて、市中には富士講が営まれて、評判になっていたそうです。そもそも富士登山は、当時の差別意識のため女人禁制だったこともあり、また老人や脚の不自由な人には、不可能だった富士登山が手軽に実現できたことから全江戸に広がったようです。
http://kkubota.cool.ne.jp/meguroshinfuji.html

 その目黒新富士の跡地を見て、坂を下る途中に、要塞のような家にぶつかりました。どうやら人気歌謡グループのスマップのメンバーの木村拓哉の自宅のようです。キムタクは富士山麓に住んでいたんですね。
http://www।flickr.com/photos/7294954@N02/5017731794/

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Sep 20, 2010

吉原でランチ

 京都人ですが、ちょっと東京へ。吉原でお昼をいただいて、とても美味しかったので、レポートがてらにご紹介します。

 吉原で遊ばれるとき、か、近くを観光されるときに、是非お立ち寄り下さい。とても美味しくて、それに美人の女将さんが、なかなかの吉原通で、近 辺の歴史、地理に大変お詳しいので、詳しくガイドして下さいます。「祖母が赤線をやっていましたから」と言っておられました。
http://www.te-shoku.com/

 お店の名前は「美津和」(03-3875-0453・不定休)さんです。台東区千束4丁目42番地4号です。ご存知の方も多いと思いますが、 「吉原」という地名は現在はありません。「台東区千束」がその正しい名称ですが、いきなり行っても土地勘がないとたどり着けません。
 まず土手通りの吉原大門(おおもん)から「見返り柳」を背にして五十間坂(衣紋坂)の微妙なカーブを通って、「吉原」の中央を貫通する「中之町 通り」へ入ります。右手に交番が見えたら、そこからが「吉原」です。「中之町通り」は柳の並木(花柳界ですから、桜と柳が植えられています)が植わってい るのでわかりやすいと思います。途中で「バンビ」という喫茶店がありますから、そこを右に曲がって「揚屋通り」へ入ります。そのまま行って右手にある、普 通の食堂です。

 メニューは和食でいろいろありますが、「日替わり定食」(850円)を選びました。
  新秋刀魚塩焼き
  サラダ(トマト、ブロッコリー、りんご、玉ねぎ、レタスを刻んだもの)
  シジミの味噌汁
  とろろ
  胡瓜の浅漬け
 です。普通の定食メニューです。普通のご飯が「普通でないところで」いただける感激です。周辺は、ソープランドばかりですから。吉原は治安は悪 くありませんから、女性ひとりで歩いても大丈夫ですよ。

 アクセスは、台東区が「北めぐりん」という可愛い(!)名前の路線バスを運行しています。浅草駅か、三ノ輪駅から乗車して、「吉原大門」で降り るのがわかりやすいでしょう。
http://www.hitachi-gr.com/o_info/m_info.html
http://www.city.taito.tokyo.jp/index/064582/054581.html

 ついでに、京都人の私が、吉原でランチとなった理由ですが、吉原の北に隣接するのが「竜泉」という地域で、樋口一葉にゆかりの土地です。「樋口 一葉記念館」に立ち寄ったあと、吉原神社と鷺神社(おおとりじんじゃ)へ行く途中、たまたま通りかかったお店でした。「樋口一葉記念館」は目が覚めるほど 立派な建物です。職員に「こんな立派な記念館を作るんだったら、何故生きている間にもっと大事にしてやらなかったんだ」とすごんで、顰蹙を買いました。展 示の中には、一葉自筆の原稿や手紙が数多くありましたが、これが驚くばかりの達筆です。一葉女史、頭がよかったのだなあ、と深く深く胸を打たれました。享 年25歳です。短命なること吉原苦界の遊女並みですね。
http://www.taitocity.net/taito/ichiyo/
http://4travel.jp/traveler/maki322/album/10312830/

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Sep 16, 2010

期待はずれの専門店 モダン焼きフジも、やっぱり「食べログ」グループだった

出町柳にモダン焼き専門店があります。Googleで「モダン焼き 京都」で検索すると下記のURLがトップにあります。「モダン焼きフジ」というお店です。初めて行ったのですが、残念、おいしくなかった。メニューは極めて多彩で、110種類の、モダン焼きがあるとお店は豪語しています。とりあえず「モダン焼き(680円)」をオーダーしました。「待たせる」と断っている割に早くできました。
http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26001821/

 まず、粉っぽくて、よく焼けていないためにベチャッとした食感がダメでした。やはり、大量のキャベツを使って、粉を感じさせないのがお好み焼きの美味しさだと思います。キャベツはほとんど入っていなくて、豚肉も探さなければない! それと、やたらソバの量が多くて、しかもこれもよく火が通っていなくて、暖めたソバにソースをまぶしたものを食べている感じです。専門店の味とは認めがたいと感じました。

 また店主が会計時に、「魔法のレストランとか、いろいろ紹介されてますよ」と自慢気に話していたのも、興ざめ。そもそも、今食べた、そのお客さんが美味しいと思ったのかどうか、がすべてで、マスコミがどう言っているかはどうでもいいことです。とくに「魔法のレストラン」で紹介されたお店で、私が行って美味しかった試しは一度もなかったので、そのレベルで満足しているのかと、がっかりしてしまった。
 飲食店の店主たるもの、今目の前で食べているお客さんが満足しているかどうかに注意して、よりよい商品を提供できるよう勉強を怠らないことが大切で、安っぽいマスコミに取り上げられたことで天狗になっているようでは、もう救われないとしか言いようがない。

 このお店、やっぱり「食べログ」ショップでした。おしいくないのに有名なわけがわかりました。

 モダン焼きは先に紹介した壬生の「あや」さんが美味しい。その場でタップリのキャベツを刻んで、粉を感じさせない食感がみごと。豚肉も紙のように薄いものは使っていない。それと、焼き加減が絶妙で、ベチャッとした食感でなく、生地にはしっかり火が通っていて、ソバまでカリッと焼けています。

 先に紹介した「ボールアンドチェイン」というお店が、ブルースカフェとしては名前負けで、食事もいまいちでした。やはり、学生街ということで、値段を優先して、中身がついていかないのかも知れません。

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Sep 14, 2010

京都の学生街を徘徊

 京福電鉄・出町柳駅前通りに、ブルースカフェ&バー「ボールアンドチェイン」(075-721-4863 11:00〜24:00 月休)というお店があります。夕食時に立ち寄って、「今日のごはん」という食事メニューをいただきました。お店は2人の女性がカウンター内にいて忙しく接客する学生街のカフェという雰囲気です。メニューもカフェ風と居酒屋風で、学生価格。カウンターの2人の女性はホスピタブルで知的です。当日のメニューはトマトの煮込みハンバーグでした。私としては、ハンバーグはしっかり焼いたものが好きなので、煮込んでベチャッとしたものは止めて欲しいところでした。
 「ブルースカフェ」というには音響とお店のつくりがいまいちで、食事を出すにはカウンター内が狭すぎる感じがします。お食事の味は、素人の料理で、おふくろの味風。コーヒーは薄味で、残念ながら美味しいとは言えない。
http://bandc.blog67.fc2.com/

 百万遍の交差点を北上した東側に、「アリスが落ちた穴の底 Mick」という早朝5時まで営業している深夜カフェというか、バーがあります。夜8時ころ開店? 見落としてしまいそうな狭い入り口のお店は地下にあって、内部はまあまあ広くて、たくさんの昔の玩具がが散らばってています。お店は毛沢東を連想させる寡黙なおじさんが一人で切り回しています。コーヒーは上の「ボールアンドチェイン」より美味しかった。とにかく京都らしい、全く気を遣わないでいい、気楽でディープなお店です。
 MICK - アリスの落ちた穴の底
 左京区田中飛鳥井町1番地
 昭和企業組合ビル地下
 TEL:075-721-8316
http://bidai.tv/heidi/archives/2009/12/post-109/
http://bidai.tv/heidi/archives/2009/11/post-85/

 そのMickを少し北に上がったところに、「長江辺」( 075-781-5585 11:〜14:30、17:00〜22:30 無休)という中華料理屋さんがあります。一歩足を踏み入れると、そこはリトル中国です。上海や香港などの街角の食堂「小吃」風で、バックに中国の歌曲が流れています。このお店は京都では珍しく「刀削麺」が食べられます。私は「上海焼きそばのセット」をいただきました。美味しい!本当、中国人は食の天才、と感心させられます。セットの小さい炒飯も泣ける美味しさ。中国人が作った中国料理だもの、美味しいのは当たり前か・・。ご夫婦と思われる若いカップルのお店で、小柄な女性が流暢な日本語で、キビキビと働いていて気持ちがいい。若い夫?は客席から見通せる厨房で、黙々と調理しています。メニューは日本人に合わせてか、焼き餃子もあり、セットには生野菜も付いています。
http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26007565/

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Sep 8, 2010

本当に美味しいモダン焼きと美人店主

 お店は京都の壬生(みぶ)にあります。四条大宮の阪急電車の大宮駅に最寄で、市バス201番か46番で「壬生操車場」で降りて西へすぐにあります。「あや(綾?)」というお店で、妙齢の美人店主が一人で仕切っています。年令は「80才まではがんばりたい」と仰っていたので、80才未満だと思います。お店は昭和ロマンのつくりで、ゆったり清潔、カウンターと小上がりがあります。
http://rp.gnavi.co.jp/5088603/
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/mibu/

 いただいたモダン焼きは、超美味しい!私のお好み焼き暦では、おそらく日本一レベルの美味です。その場でキャベツを刻んで、ちゃんと厚みのある豚肉を載せて、表面はしっかり焼いていて、厚みがあるのにベタベタしません。豚玉などは500円、それらをモダン焼きにすると800円です。開店28年目の秀作です。食べていると、「お気に召していただけましたか」ときかれました。帰る際にも、「お気に召していただけたら、またお越し下さい」と、上品に如才ない京のお店です。

 お好み焼きは、あるじがずっと一人で焼いているお店のものが美味しい。有名でも、アルバイトのお兄さんがマニュアル通りに焼いているお店のものはダメ。キャベツひとつをとっても、いつ切ったかわからないものを使っているようでは話にならない。キャベツの食感と微妙な甘みを知っている人なら、わかっていただけると思います。豚肉も、紙みたいに薄いものを平気で出すお店は信用できません。

 グルメ雑誌は、あるデータ・ベースから引っ張り出した情報だったり、有名人がテレビで宣伝したからという理由で知られたお店だの、実際に行ってみて本当に美味しかったことはありません。

 今日、9月8日は白露、秋の気配が漂い始める季節です。事実、台風のおかげで、とても過ごしやすい一日でした。
 今年夏の暑かったことを、「あや」の点店主に言うと、彼女が言うには、「前のアスファルトの半分を芝生にして、そこに水を撒けば、水を含んで涼しくなると言ってるんですが、受け入れてくれないんです」とのお返事でした。
 市電をなくしたり、エコポイントを設けたり、やたら舗装してヒートアイランドを全国に拡げたり、すべて自動車産業へのサービスでした。日本の政治は根本が間違っています。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~yama01/FKyotoShiden.htm
http://www.ogiken.co.jp/siryou/heat.htmに拡げたり、すべて自動車産業へのサービスでした。日本の政治は根本が間違っています。

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Sep 5, 2010

自由になりたかった囚人 ふたたび夢と自由について

 植西 聰さんの「変わりたいあなたへの33のものがたり」(集英社be文庫)に収録されているお話です。実話ではありません。

 一人の囚人がいました。朝起きて、強制労働に従事して、夜になったら寝て、という毎日に飽き飽きしています。「自由になりたい」、「家族に会いたい」と考えています。そして、神様に、何とか自由にしてくれるようお願いします。すると神様が現れて、彼の部屋にいくつかの扉を作ります。そして、どの扉でも、自由に開けて出て行っていい、と囚人に言います。ただし、ドアの外がどんな世界なのかはわからない、と付け加えて言いました。

 囚人は来る日も来る日も考え、悩みました。扉を開けて出て行けば、今の監獄暮らしからは解放されるけれども、その先に何が待っているのかは、全くわからない。ひょっとしたら、今よりももっと不幸で、惨めな生活が待っているかも知れない。今の生活は不自由だけれど、食事は与えられるし、危険なことはない。結局囚人は、どの扉も開ける勇気がなく、結局その監獄で死ぬまで過ごした、というお話です。
http://www.superdramatv.com/line/oz/words4.html

 著者の植西さんは、このお話を聞いて、泣き崩れたある若い女性のエピソードを紹介しておられます。その女性は、暴力をふるう男性と交際していて、暴力をふるわれるけれども、優しいこともあって、何よりも一人になるのが寂しくて、別れられずにいる、という人でした。彼女は、この囚人の話を聞いて、やっとその男と別れる決心がついた、と言ったそうです。彼女はこの話を聞いて、目の前にある扉を開けることを恐れて生活していた自分と、決別する勇気をもてたのです。

 私たちも、考えてみれば、この囚人と同じ生活を送っています。いろいろと「夢」をみたこともあったし、今もみているかも知れません。ところが、実際の生活は、夢の実現のために目の前の扉を敲くことすらせずに、毎日が過ぎていっているのではないでしょうか。自分もやがて、街でみかける、普通のおじさんやおばさんになっていくことは、火を見るよりも明らかです。「それでええ、無事に生きていけたら御の字やで」と飼い慣らされていく不甲斐なさに、静かに目を閉ざしています。人生はたった一度で、目の前にある扉を開ける自由は、誰もが公平にもっているというのに。

 生まれついての金持ちが必ず幸せとは限りません。小学校の悪がきが、将来オリンピック選手やノーベル賞受賞者になることだってあります。6歳で片腕を失った少年が努力して大リーガーになった実話も、先にご紹介しました。耳の聞こえない人たちが「千手観音」という世界的な芸術活動を続けているお話も以前紹介させていただきました。
http://www.amstkk.net/petegray.html
http://shopping.jchere.com/senjukannonintro.htm

 私たちは「夢」をみることを恐れていないでしょうか。自分から、自分に与えられている「自由」を放擲してしまっていないでしょうか。街を歩くと、無数の「これでええわ」に出会うことを、寂しいと思いませんか。
http://questionbox.jp.msn.com/qa3954846.html

 モザンビークでパンの値上げに反対するデモがありました。反対運動は暴動に発展して、13人の死者と200名以上の負傷者を出す結果になったそうです。しかし、パンの値上げは撤回されました。モザンビークではパンの価格は政府が決めています。
 これが「自由」というものです。自分の考えを、誰に対してでも表出できて、そしてその実現のために行動できることこそが「自由」の本質です。私たちはアフリカの小国といえば、低開発国で未開の世界だと、内心蔑視しているかも知れません。しかし、彼らは自分の自由を知っていて、それを行使する勇気を持っています。「自由の国」日本と言いながら、私たち日本人は、実はアメリカの言いなりの政府の、その言いなりです。自分の考えを持っていなかったり、おかしいと思っても、周囲の目を憚って、結局黙っ我慢してしまう卑屈な国民性を持っています。あの野蛮な戦争に徹底的に反対できないで、その上、原爆を投下されながら、そのことに対しても何の抗議もできない国民です。

 イチローの言葉です。
「小さなことを積み重ねることでしか、とんでもないところへは行けない」
「大きさや強さに対するあこがれが大きすぎて、自分自身の可能性をつぶさないでほしい。自分のもっている能力を生かせば、可能性はすごく広がる」
 イチローだって、生まれたときから大リーガーであったわけではありません。誰もが同じ可能性をもった新生児として、この世に誕生します。私たちが携帯電話に縛りつけられている時間を、彼らは自分のために使っただけのことです。私たちは、心から自分の生活を恥ずかしいと思うところからやり直さないと、自分だけでなく、それでなくても希薄な、世界の中での日本の存在感もますます希薄になっていくことでしょう。

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