京の路地から From Kyoto with Love

Why don't you visit Kyoto to meet something new? 京都は私の空気、水のようなもの。新しい京都、古い京都。その中で、日々綴った、現代の枕草子。

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Location: 京都市, 京都府, Japan

悪戯な好奇心の猿一匹、飼っています。Keeping a curious monkey in my mind.

Sep 28, 2011

大原秋景

 今、大原が美しい。京都駅から50分くらいで、幽谷の気配です。紅葉の季節ほどは混雑しません。とくに、バス停から寂光院への散策路は秀逸です。バス停近傍の田圃を見ると、彼岸花とコスモスが咲き乱れて、秋の草原の風情が堪能できます。四方に山影が迫る、懐かしい「田舎の匂い」を感じる一日になります。
http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/6174808161/in/photostream

 京都駅のC3のバス停から、17,18番の京都バスに乗れば終点です。570円?京都駅から乗らないと坐れません。満員なら一台待っても20分くらいです。
http://hp1.cyberstation.ne.jp/sewatari/bustime/kyotosta.htm

 花を愛でていると、周辺には懐かしい秋の虫がたくさん。その鳴き声も喧しいくらいです。
 寂光院では茄子に金色のミニ蛙が入ったお守りをゲットできます。帰りに、寂光院門前正面のお漬物屋さん「翠月」で一休みするのが私の流儀です。一休みと言っても、で店で坐るるスペースはありません。5代目のお店で、愛想のいいおばさんが、杯くらいの器に温かいご飯と、お漬物数種をトッピングして勧めてくれます。おかわりもしてくれて、お漬物は何種でも試食できます。向こうから次々におかわりを準備して勧められます。紫蘇のお茶も淹れてくれて、食事の必要がなくなります。価格は1パック500円くらいなので、お土産にも最適。百貨店の漬物屋の味の素たっぷり、保存料入りのものとは根本的に味が違います。しば漬けの本当の美味しさを、堪能できますよ。私はしば漬けと、筍、舞茸、蕗の漬物を買って帰りました。皆おいしい。ご飯が美味しい。お茶が美味しい。

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Sep 26, 2011

雲南省の旅 携帯、トイレ事情など

 雲南は山岳地帯です。雲南省は日本より広いですが、人口は半分以下です。雲南の旅は富士山の標高を超える高山の旅で、とても厳しい。お手軽に雲南を旅するなら、昆明、大理、麗江などを観光するのがいいかも知れません。ただし、旅行会社がセットアップした物見遊山と買い物だけに飽きたらない本当の旅好きには、やはりもっと深く踏み込むべきです。厳しい行程です。

 雲南の旅で驚いたことがあります。そのひとつはどんな高地に行っても、中国の携帯電話は圏外にならないことです。私が日本から持参したソフトバンクは、結局どこでも圏外で使い物になりませんでした。日本の携帯は全くダメです。次に驚いたことは、雲南の山岳道路は至る所工事をしています。修復、拡張、渡橋と、政府が僻地の道を整備しています。その工事現場に必ず女性の労働者がいたことです。日本でなら、工事現場には男たちがいて、妻子は家で待っているというのがあたりまえです。中国では女も高山の道路工事に従事しており、家族で働いている場合も普通です。幼い子供たちが工事現場横の瓦礫で遊んでいたりします。帰国して友人の中国人に訊いてみたところ、中国ではそんな風に女が工事に従事するのは普通で、そんな職場で出会って結婚することもよくあることなのだそうです。もう一つ、雲南のシャングリラは山岳地帯で、日本流に言えば寒村ばかりです。そんな寒村の旅館でもテレビは市街地のホテル同様、50チャンネルもの放送曲を受信することができます。中国語の番組が多いのですが、英語や他の言語の放送もあります。昆明あたりなら、NHKのBS1やEテレを観ることができます。中国語放送の場合、漢字で中国語のテロップが流れるので勉強になるし、ある程度理解できます。携帯電話とテレビに関する限り状況は日本よりもはるかに進んでいます。

 旅程中山岳の村で食事タイムになります。そのトイレの汚いこと。一軒一軒の家にトイレがるとは限りません。食堂のトイレも共同だったりします。ちょっとした小屋掛けに入ると、板に穴が穿ってあって、三人くらい並んで用を足せるようになっていたりしますが、仕切りはありません。穴を覗くと下にはしっかり溜まっていて、臭いこと。まあ、日本人のお嬢様だと、出るものも引っ込んでしまうのではないでしょうか?

 ここで中国の少数民族のプライドを守るため、でもありませんが、ひとつ書き足しておきます。そのトイレですが、実は、四国の山中にある私の父の実家のトイレとそっくりだったことです。今では廃屋になっていますが、山中の一軒家で、そのトイレが臭くて汚くて暗いのが、子供心にとても耐え難かった。さらに言えば、トイレに関しては、海辺の母の実家のそれも、大差ないものでした。中国の奥地は、まだそのレベルの生活をしているということなのでしょう。だからトイレの問題は、中国の問題ではなくて、私達の国も含めた生活の歴史の問題なのです。今なら、そのトイレを体験できますよ。

 雲南観光の粋である梅里雪山(日本語でばいりせつざん、中国語だとmeilishueshan)を見渡せる徳欽(ディーチン)はさすがに観光地で、旅館のトイレは簡易水洗になっています。今回の旅でフェニックスツアーという悪徳旅行代理店に騙されて宿泊した旅館では、水圧が弱く、流れる水が少なく配管が細いので、簡単に詰まってしまいました。ロールペーパーもポケットティッシュのように小さくて、女性ならアッという間になくなってしまうことでしょう。香格里拉に行かれるなら、というか、中国に行くなら、ロールペーパーの芯を抜いてギュッと圧縮してビニール袋に詰めたものを一本持参することをお勧めします。それと、冬季だと零下20℃まで低下するという寒冷地ですから、夏でも防寒具は必須です。私が泊められた旅館は暖房がなくて、夜間の寒さに布団(薄い!)2枚と毛布2枚を掛けてもまだ寒くて結局眠れない夜を明かしました。それなのに風呂もないので、温まる手段がなかったのがキツかった。帰国後代理店の担当者の内山路子に電話で抗議したのですが、予定していたよりランクが上の景色もいい旅館に変更しました、としらじらしい言い訳をするばかりです。旅行代理店はこうやって、勝手にコースを変えたり、旅館を変えたりして自分たちの小遣い稼ぎをしているのだということを、思い知らされました。罰金があまりに安いことと、日本人はあまりそういうことで争わないのをいいことに、奴らは汚い商売をしています。裁判は必要ありません。その旨書いた文書を送りつけるだけの手続きですから、甘やかせないで是非取り返せるものは取り返すのが、今後のためだと思います。

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Sep 22, 2011

中国・雲南省の旅

 中国雲南省の旅に行った。秘境という言葉を知った。旅というものを考えなおした。悪徳旅行代理店に騙された。


 まず日本には秘境はないことを知りました。テレビや旅行会社が「秘境」と騒いでいるものは、観光向けのやらせ秘境にすぎないものだとわかりました。

 雲南の旅は、標高3000メートルを超える点と線の旅です。富士山を超える高さに村があり、人が暮らしています。3000メートルは山ではなく、村なのです。山といえば5000メートルを超える神の領域だと実感します。旅は舗装も不完全な高山の彎曲した道路を、ひたすら走る行程です。酸素不足と車酔いに、毎回深呼吸で食欲も失せています。高山病で亡くなる旅行客が後を絶たないとのことです。大半を車のシートに横たわっています。それでも、そのコースで出会う観光スポットのひとつひとつは、日本にいては決して見ることのできない、心を撃ち抜く感動の景観です。日本の観光地ならば、振り返れば土産物店があり、茶店があり、ご当地キッティを売っていることでしょう。

http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/6169298160/

http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/6162063156/


 私たちは、例えば中国旅行といえば、観光会社が敷いたレールに乗って、お決まりの観光施設を日本語と少しばかりの英語で見てまわり(日本人目当ての現地人がうじゃうじゃと待ち受けているのです)、麻婆豆腐を食べて、ブランド品を買って、西洋系のホテルに泊まることと思っています。それが中国旅行だと思っています。心の中では中国人を軽蔑しながら、根拠もない優越感をもって見物してくるのです。日本人目当ての現地の商人と日本の旅行代理店を儲けさせるために。


 雲南では英語は通じません。日本語はもちろん、中国語さえ通じないことがあります。食事も広東や四川のものとは全く違います。香料の匂いが強く、辛い。酸素欠乏で気分の悪いときには、匂いを嗅いだだけで吐き気がする。コーヒーはまず飲めない。朝食には饅頭(まんとう)という塩も砂糖も入らない蒸しパンを食べて、バター茶という飲み物を飲んでいたりするけど、その塩辛い飲み物は食欲を失せさせる。


 旅とは、やっぱり新しいものを観ることだと実感した。新しい経験をすることが自分を再起動する。見る前から知っているものをただ見てきただけのツアーでは得られない、本当の感動が欲しい。現地人ガイドも日本のお客さんは、観光地を見て、ブランド品を買っていくだけだと言っていました。終わることのない、あれは何だろう、これは何だろうの連続が、絶えず心を刺激し続ける。みすぼらしい服装の幼稚園くらいの兄妹に出会ったとき、「你好」と挨拶すると、「你好」と返答してきた。「你会唱?」と尋ねると、二人で少数民族の歌を歌って踊ってくれた。谢谢とお礼を言って、すこしばかりのチップをあげると、大喜びで叫びながら母親のところへ走って行きました。村には小さなよろず屋が一軒あるだけで、何も買うものもないと思うけれども、本当に嬉しかったのでしょう。

http://www.flickr.com/photos/7294954@N02/6172416817/


 旅立つ前に、中国語の香格里拉(シャングリラ)サイトをのぞいてみました。バスは一日一往復だとか、自動車が通れないので、それから先は馬で行く、とか書いてあって、こりゃ古い情報だなと思っていました。ところが、行ってみると、これからの登りは騾馬で1時間半とか、馬で30分とかいう所に実際ぶつかって、驚きました。厳しい登り坂を、高地からの見晴らしを楽しみながらの、騾馬の背に揺られる旅では、騾馬の力強さに感動したのです。

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Sep 20, 2011

パック旅行で宿泊ホテルの変更は違法です

 最近中国の雲南へ旅行した際、宿泊施設を無断で☆☆ホテルからおぞましい木賃宿に変えられていて、せっかくの旅行が台無しになってしまいました。おまけに旅程にあった訪問地も削られていて踏んだり蹴ったりの旅行だったのですが・・。帰国して当のフェニックスツアーの担当者である内山路子という悪徳旅行業務取り扱い者に掛け合っても、ぬらりくらりと言い訳ばかり。
 仕方がないので知り合いの弁護士に相談してみると、次の回答が得られました。

 「ホテルの変更は「⑦宿泊機関の変更」に該当すると思います。また、予定されていた観光地に行かなかった場合「②観光地の変更」に該当すると思います。この二つであれば、旅行代金の4%が「旅程保証」により請求できます。その他の変更があれば、それ毎に加算され最高15%まで保証されます。
 なお、手続については、規定がありませんので、旅行会社に対して
「旅行中、●●があったが、これは⑦に該当し、●●があったが、これは②に該当するから変更補償金として、●●円(4%)を請求する。」
との請求書を送付すればよいと思います。」

 つまり、爆撃や土石流や死ぬほどの病気やの理由がなければ、旅行会社は勝手に宿泊施設やコースを変更してはならないということです。知り合い等に聞いてみると、ホテルや交通手段の変更は結構あって、旅行会社はもっともらしい説明をしているようで、ささやかなおみやげをくれたりして騙されているようです。おめでたい話です。旅行会社はしっかり差額をもうけて、裏で笑っています。日本人は契約という言葉に暗くて、根が哀しいことに「和をもって尊しとなし」で洗脳されていますから、悪徳旅行代理店にとっては実にいいカモばかりです。年金を工面してやっと旅に出たお年寄りを騙す悪人たちを、私は許せない。

 今回の私の場合、担当の内山路子は、文書でぬけぬけと
「現地手配先はより景色の良い3つ星ホテルを手配しておりました。」
 と返答してきました。いいホテルに変えたから許されるものじゃあないということをわかっていない。それに変えられた木賃宿は、寒冷地なのに暖房がなく、トイレは詰まって水浸しです。3つ星ホテルなんてどこにも示されていないひどい宿泊施設でした。
 それにしても、騙した旅行代理店に対して、一件2%しか請求できず、総額でも15%が上限とは、法律がいかに旅行客を馬鹿にしているかということです。請求されても、まだ儲けるしくみになっています。裁判にかけて、慰謝料をむしり取るくらいの意気込みでないと、奴らにはこたえないと思います。

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Sep 16, 2011

悪徳旅行代理店 フェニックスツアー

 フェニックスツアー(全日本中国旅行株式会社)という旅行代理店があります。HPをみて、中国旅行を幅広く手がけているようだったので、雲南旅行のお世話を頼んでみました。ところが、これがとんだ悪徳旅行会社で、泣かされました。
http://phoenixtour.jp/

 出発前に渡されたスケジュールでは、2泊目と3泊目は松赞梅里酒店に宿泊すると書いてある。ネットで検索して喜んだ。とても景色のいいホテルで☆☆です。ぬか喜びした。いざ見地へ行ってみると、梅里商务酒店という得体の知れない旅館にチェック・インさせられて、今夜の宿だと言われた。
http://www.shanghaibooks.com/china/shangrila/zhongdian/267643.html

 現地ガイドにそれは話が違うと抗議するが、聞き入れられない。宿泊予定のホテル名を見せても、そんなホテルは知らないの一点張りで、コース表にあるそのホテルに電話したがつながらないと言い張る。だまされた。直ちに大阪のフェニックスツアーの担当者の内山路子にメールを送るが、無視されてしまう。

  実際に泊まった現地ホテル(ホテル?)は、風呂なしで、トイレの排水が止まって流れなくなり、トイレの床が水浸し。高山なのに暖房がなくて、夜間はツイン・ルームだったので、2枚の布団と2枚の毛布をかぶって寝ようとするが、結局一泊目は不眠。コースが3000メートル級の山岳のドライブで、5~7時間もの地道を含む山道を、揺られまくるため、低酸素(高山病)と車酔いで、夕方はヘナヘナ。さすがに2泊目は、夕食もノドを通らないで、17時から翌朝7時まで爆睡してしまった。現地の担当者は2泊目もこのホテルだと言ってきかなかった。

 帰国してフェニックスツアーの担当者の内山路子に電話すると、お帰りなさい、と涼しい対応です。これは仕組まれた詐欺だと実感する。現地とグルになって、安い木賃宿に投宿させて、差額を詐欺ったのは、もう明々白々です。東京本社の社長、原田喬二郎に対応させるが、京都に来て説明しろと言っても、それはできない、事情は今から調査する、と逃げの一手です。

 現地ガイドに聞いたところでは、ある日本人旅行者が高山病で死んだケースがあったそうです。大阪の代理店はそんなことは一言の説明のなしで、もしものときのための持ち物や持参薬、現地の病院の情報は一切提供されていなかったのです。とにかく金をとればいい、というぼったくり旅行社だったのです。

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Sep 8, 2011

京の旅

 京都が好きで京都の大学へ行きました。卒業後も赴任先は京都市内でとわがままを通しました。京都の好きな人は多いと思いますが、自分は一体京都のどこが気に入っているのかと、ふと考えたりします。そこで、市内のお気に入りのスポットをいくつかご紹介してみうようと思います。

 まず嵐山方面です。太秦の広隆寺です。国宝第一号の弥勒菩薩で有名ですが、境内の駐車場にある「いさら井」という枯れ井戸です。立ち止まって見る人もない、古井戸ですが、「いさら井」は「イスラエル」の訛りだというのです。そもそも太秦や嵐山は平城京以前は、渡来人である秦氏の土地で、秦氏は秦の始皇帝の子孫だとも言われています。秦(はた)はすなわち秦(しん)だというのです。秦氏は太秦や伏見稲荷周辺はじめ、平安遷都以前の京都に広く分布していたようです。始皇帝は大陸に万里の長城や、大運河を構築したことで知られますが、秦氏もまた、土木・治水に優れた技術を発揮したようです。太秦に大酒神社という社があって、秦の始皇帝が祀られています。大酒神社は古くは大辟神社と書いて、またもっと古くは大闢(だいびゃく)神社と言いました。この大闢とはユダヤのダビデ王のことだとも言われています。秦の始皇帝がユダヤ人であったという説もあるくらいです。

 次に京の夏を彩る祇園祭です。これは全くもって非日常の世界です。最近はとくに疫病退散の祭りというより、観光に重点を置いた催しに変容してしまっているせいのあって、中京一体を歩行者専用しにて、無数の怪しげな露天と煌びやかに飾り立てた山や鉾を並べた宵山の50万人の賑わいは、全く日常とは切り離された、異常な経験です。その異常さこそが、祭りというものの本態であり、そこに身を置くことで、その狂気のなかに溶け込む一種の自己崩壊を経験できることこそ、その夜の素晴らしさがあります。そこには日常との繋がりは何もないということが、歴史を生き抜いてきた京の町の力と表裏となっています。

 五條楽園は今に生きる京都の遊郭です。京の五花街といわれますが、そこに含まれない六つ目の花街で、ちゃんと歌舞練場などもあって、舞妓・芸妓さんたちは琴や三味線のお稽古をしているそうで、花街の体裁をもっています。しかしその実はお茶屋は売春宿で、入ればやり手ババアが着物姿の姫を呼んでくれて、30分1万円?のちょいの間のお楽しみです。大阪の有名な飛田新地に似ています。ただ、さすがは京都で、これがただの遊郭ではない。五条楽園はいまをときめく任天堂発祥の地です。それに、今では流行らない花札の唯一の手作りの職人(松井天狗堂)が最近まで仕事をしていました。看板にはウンスンカルタとも書かれています。この街を歩くと、零落した街の、なんともやるせない退廃感に鬱々としてきます。でも、これが見せかけの観光ではない、本当の京都の一面であるわけです。通り一遍のツアーでは、逆立ちしても経験できない、ディープな真の京都なのです。

 下鴨神社の糺(ただす)の森は、お気に入りの散歩道です。自宅からほど近くて、自動車の行き交う下鴨本通から数分間入ったところに、太古からの原生林があって、自由に散策できるところに、京の奥深さがあります。森は昼尚暗く、人影もまばらで、日常では経験しがたい、孤独の世界に浸れます。森林内でニホンリスやコノハズクを見かけた記録があります。森の匂いと樹齢数百年の大木たちと過ごす時間は、得難い。怖いくらいに一人になれること自体、私たちには本当に非日常のことです。森を流れる御手洗川と泉川という清流のせせらぎを木の間隠れに聞きながらの散策のために、思い立ったら出かけています。

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